「正しさ」を信じられる理由|主観で生きる私たちの処方箋

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なんでみんな自分の考えを信じて生きていけるの?と疑問に思うことがあります。

でも人は、自分の経験や考えから正しさを感じて生きているのです。そして、それが正しいとは限らないと知ることが大切です。

「自分も正しいし、相手も正しい」と思えると、イライラせずに心が穏やかになります。

気持ちのゆれを少なくすれば、毎日はもっと生きやすくなります。

今日は「「正しさ」を信じられる理由|主観で生きる私たちの処方箋と題して、正しさについて考えます。

 

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●「正しさ」を信じられる理由|主観で生きる私たちの処方箋

 

○「正しさ」を信じられる理由|主観で生きる私たちの処方箋

 

何をもってみんな自分の行動が正しいと惰性して生きれてるの?

 

なんでこれが美味しいって確証できるの?

なんでこれが正解かな?って思えるの?

その答えに疑問や葛藤は多少あるだろうけど、「自分の答えです」って胸張るのにどうやって折り合いをつけれてるの?

なんで自分の基準で物事を決められるの?

 

美味しいも、楽しいも、正しいも、自分の心を騙した過去の経験と潜在意識の賜物じゃん…

なんで疑問に思わず信じ続けられるの?

思い出や幻想や理想を追い求める執念的な所から信じられるの?

 

オリジナルや唯一無二であることを求められる今しんどくないですか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313564024

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

人は、誰もが「主観」でしか生きられません。

自分の信じている正しさがある。でも、それは絶対的な正しさではありません。

自分にとっての正しさがあるように、自分以外の人にも、その人にとっての正しさがあります。

人はそれぞれの自分の正しさを信じて生きていくしかありません。

自分を信じているから、自分以外の価値観、他人の正しさを知った時に、自分の信じている正しさを修正することもできるのです。

とはいえ、みんながそうやって“柔軟”に生きているかというと、もちろんそうではありません。

ある人にとっては、自分の正しさが“常識”として染みついていて、それ以外の考え方を知らず知らずのうちに否定していることもあります。

「これはこうするのが当たり前だ」「それは間違ってる」。そういう言葉の裏には、自分の経験と成功体験が根付いています。

つまり、人は自分が「信じていい」と思える過去のデータをもとに、“正しさ”を構築しているのです。

だからこそ、「なぜ自分の行動が正しいと信じて生きていけるのか?」という問いに対して、多くの人はそもそも“疑っていない”というのが実情です。

疑わないまま生きている。これは思考停止ではなく、ある意味で「自分を信じる」という防衛本能のようなものです。

何かに迷ったとき、「こうしてきたから大丈夫」という“感覚の蓄積”に立ち戻るのは、惰性ではなく“信じる力”なのです。

ただし、その信じる力が他者を否定し、違う価値観を拒絶するようになってしまえば、やがて「孤立」や「葛藤」の元になります。

主観を持つことと、他者の主観を否定することは、まったく違う行為だと知っておく必要があるのです。

◯自分も正しい相手も正しい

 

自分以外の正しさがあることを知らなかったり、知っていても認めることができないことは、他人に対しても迷惑ですが、実は自分を一番苦しめます。

仏教では、それを「一切皆苦(いっさいかいく)」と教えています。この世の中は思い通りにいかない。それが自然なことだ、と教えています。

でも、そもそも“思い通り”という言葉の前提には、「自分の思い=正しい」があるのです。

この思いが正しいから、世の中はそれに沿うべきだ、と無意識に思い込んでいます。

だから、うまくいかないとイライラしたり、落ち込んだりするのです。でも、その根本にある「正しさ」自体が、本当に“正しい”とは限りません。むしろ、それは自分のフィルターを通した“仮の正しさ”です。

じゃあ、どうすればいいのでしょう?

一つのヒントは、「自分が正しい」と思うのと同じように、「相手も正しい」と思うこと。

この前提があると、出来事の“意味づけ”がガラッと変わります。

たとえば、レストランで店員の態度が悪かったとき。

「なんだあの態度」と怒る自分がいる一方で、「でも、あの人にも今日の事情があるのかも」と思えると、怒りの強度は少し和らぎます。

そして、こういう“小さな気づき”を繰り返すうちに、「この世は自分の思い通りじゃなくて当然だ」と、だんだん腑に落ちてきます。

この「腑に落ちる」感覚がないまま、「自分が正しいのに世の中が間違ってる」と信じ続けると、人は不満と怒りを抱え続けてしまう。

すると、それが日々の言動ににじみ出て、結果的に自分自身が最も生きづらくなるのです。

人は、自分の中の正しさだけで世界を捉えようとすると苦しくなります。

でも、自分以外の正しさもこの世界に存在するんだと心から思えた時、驚くほど生きやすくなります。

◯「揺れては落ち着かせる」を繰り返す

 

人は主観でしか生きられません。自分が正しいとしか感じることができません。それを変えることはできません。

ですから、頭で理解するしかないのです。

心が納得しないときでも、理屈として「これは仕方ない」と整理をします。

これは逃げでも妥協でもなく、自分の精神を守る“訓練”のようなものです。

たとえば、SNSを見てモヤモヤする時。

「なんでこの人はこういうこと言うんだろう?」と、疑問と怒りが渦巻きます。

でも、「あの人の中には、あの人の正しさがある」と思い出す。

それだけで、感情の揺れがスッと収まる瞬間が訪れます。

もちろん、最初からうまくはいきません。感情は動きますし、イライラもします。

でも、「揺れては落ち着かせる」を繰り返していくと、だんだん“揺れる時間”が短くなっていきます。

これは経験上、確かです。

揺れる時間が短いということは、心が穏やかな時間が増えるということです。つまり、幸せな時間が増えるということです。

私たちが望む「平穏な毎日」「穏やかな関係」は、自分の正しさを押し通すことではなく、“自分も正しいし、相手も正しい”という視点を持つことで手に入るのかもしれません。

「正しさ」は戦うためにあるのではなく、理解するためにあるのです。

主観の世界に生きる私たちは、そのことを意識しながら、「信じながら、揺れて、また信じる」日々を生きていくのだと思います。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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ぜひ、お読みください。m(_ _)m

●今日のまとめ

今日は「「正しさ」を信じられる理由|主観で生きる私たちの処方箋と題して、正しさについて考えました。

○「正しさ」を信じられる理由|主観で生きる私たちの処方箋

人は、誰もが「主観」でしか生きられません。

自分の信じている正しさがある。でも、それは絶対的な正しさではありません。

自分にとっての正しさがあるように、自分以外の人にも、その人にとっての正しさがあります。

◯自分も正しい相手も正しい

うまくいかないとイライラしたり、落ち込んだりするのです。でも、その根本にある「正しさ」自体が、本当に“正しい”とは限りません。むしろ、それは自分のフィルターを通した“仮の正しさ”です。

じゃあ、どうすればいいのでしょう?

一つのヒントは、「自分が正しい」と思うのと同じように、「相手も正しい」と思うこと。

◯「揺れては落ち着かせる」を繰り返す

「揺れては落ち着かせる」を繰り返していくと、だんだん“揺れる時間”が短くなっていきます。

これは経験上、確かです。

揺れる時間が短いということは、心が穏やかな時間が増えるということです。つまり、幸せな時間が増えるということです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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