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他人を助ける意味とは?|自分を大切にしながら考えること

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人は自分や家族を大切にするのは当たり前です。

でも、未来では今は関係のない人と助け合うことがあるかもしれません。

他人を助けることは強制ではありませんが、自分がどう行動したいのかを考えてみることが大切です。

今日は「他人を助ける意味とは?|自分を大切にしながら考えることと題して、他人を助ける意味について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
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毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

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●他人を助ける意味とは?|自分を大切にしながら考えること

 

○他人を助ける意味とは?|自分を大切にしながら考えること

 

私は何かとてもイレギュラーな事があった時に自分の為に生きたいと思う人間です。他人のことなんてどうでもいい。自分の家族、友達さえ幸せならそれでいい。

(何故なら家族と友達と一緒にいることは自分の幸せに繋がるから)

人生で歩いていて歩道ですれ違うだけの他人に何故手を差し伸べる必要があるの?と本気で考えてしまう自分に悩んでいます。でもそれでも何もしなかった自分に罪悪感を感じている部分もあり、とてもそれが自分にとって疑問です。これは実体験を通して感じたものです。私は普通なのでしょうか?私はこれからの人生どう生きていけば良いでしょうか。改心するべきですか?

 

補足

見てくださった方々なんでもいいので個人の考え方を教えて欲しいです。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14312147934

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

人間は生きている以上「自分」(自我)というものを持っています。

自分に関わるモノ、自分の家族や友人の優先順位が高いことは当たり前であり仕方がないことです。それが自我の働きだからです。

そういう自分を否定する必要はまったくないと思います。

その上で、知っておくべきことは、街を歩いている時に、もし大地震が起きたとしたら、それまで見知らぬ人だった「すれ違った人たち」と助け合わないといけないかもしれないということです。

自分にとって大切な人、モノ、出来事は、次の瞬間に変わるかもしれないのです。

そう思った時に、「今」は関係のない人たちでも、どうでもいいとはならないなと僕は思います。

改心をするというより、「今」というモノを、もっと大きく広く長く捉えるといいかもしれないと思います。

他人を助けることは、結果として自分を助けることにもつながるかもしれません。

たとえば、あなたが今は「無関係」と思っている人が、未来のどこかであなたの大切な人を助けることがあるかもしれません。

そう考えると、「他人を助ける意味」も少し違ったものに見えてくるのではないでしょうか。

◯優先順位ができることは当たり前

 

(返信)

私は東日本大震災を経験した者です。そしてその際の貴方の言う「今」という時に立ち会った時に私の思考は一切変わりませんでした。それが私にとって自分はマトモな人間では無いのかと感じ辛いんです。

繰り返しになりますが、生きている以上、優先順位ができることは当たり前です。

「今」(いざ)という時でもそれは変わらないし、むしろそういう時だから優先順位を考えるのです。

僕が思うのは、だからこそ、平時の時(冷静な時)に、どう考えるかが大切だということです。

優先順位を考えることは仕方がないことだけど、「今は関係ない人たちと助け合わないといけない時が、もしかしたら来るかもしれない」と思うことで、他人にも優しくなれるかもしれません。

誤解がないように付け加えますが、そうでなければならないとはまったく思っていません。

人間は自分を大切にするべきです。自分を大切にすることは、自分に関わる人やモノ、出来事を大切にするということです。

その上で、いずれそうなるかもしれない人のことも考えられるなら考えたらいいと思います。

誰かを助けることができるなら、それは素晴らしいことです。でも、助けなかったからといって自分を責める必要はありません。

それは人間として自然な感情であり、どちらが正しいというものでもないのです。

◯人の心には善も悪もある

 

質問者さまは、自分のことを「マトモな人間ではないのか?」と疑われていますが、人間は、マトモな人とそうでない人に分けられるほど単純ではありません。

人の心には善なる心もあれば、悪なる心もあります。誰にだってあります。大切な人のためには、マトモでいられない時もあるかもしれません。

すべての人を大切に扱うことは、人間にはできません。ですが、そうありたいと思うことはできます。

罪悪感を感じるということは、少なくともあなたの中に「他人に対する意識」があるということです。

それだけで、すれ違う人たちを「どうでもいい」と思いながらも、心のどこかでは何かを感じているはずです。

他人を助けることは、必ずしも「手を差し伸べる」という行動だけではありません。たとえば、誰かを傷つけないこと、誰かの迷惑にならないこと、それもまた「他人を思う」ことの一つです。

もしあなたが「今」の考え方を変えたいと思うなら、少しだけ視点を広げてみるといいかもしれません。

たとえば、道端で転んでいる人を見かけたら、手を差し伸べることもできるし、何もしないこともできる。

どちらを選んでもいいのです。

ただ、もし「何もしなかった自分」を後で責めるのであれば、それは本当は「助けたかった」のかもしれません。

その感情に気づくことができれば、自分の中の「大切なもの」が何かが、少しずつ見えてくるかもしれません。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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●今日のまとめ

今日は「他人を助ける意味とは?|自分を大切にしながら考えることと題して、他人を助ける意味について考えました。

○他人を助ける意味とは?|自分を大切にしながら考えること

あなたが今は「無関係」と思っている人が、未来のどこかであなたの大切な人を助けることがあるかもしれません。

そう考えると、「他人を助ける意味」も少し違ったものに見えてくるのではないでしょうか。

◯優先順位ができることは当たり前

人間は自分を大切にするべきです。自分を大切にすることは、自分に関わる人やモノ、出来事を大切にするということです。

その上で、いずれそうなるかもしれない人のことも考えられるなら考えたらいいと思います。

◯人の心には善も悪もある

人の心には善なる心もあれば、悪なる心もあります。誰にだってあります。大切な人のためには、マトモでいられない時もあるかもしれません。

すべての人を大切に扱うことは、人間にはできません。ですが、そうありたいと思うことはできます。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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