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いじめられている方に非はある?|いじめをなくす方法

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いじめられることに非はありませんが、理由はあります。いじめる子がいるのは、いじめられる子がいるからです。

自分を守るためには、「いじめると面倒くさい」と思わせることが大切です。周りのサポートも重要です。

今日は「いじめられている方に非はある?|いじめをなくす方法と題して、いじめをなくす方法について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

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●いじめられている方に非はある?|いじめをなくす方法

 

○いじめられている方に非はある?|いじめをなくす方法

 

いじめられている方に非はありますか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11310599516

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。


非はありませんが、理由はあるでしょう。いじめても大丈夫と思わせているのが理由です。それを非というなら非かもしれません。

モノを買う人がいるから売る人がいます。話を聞く人がいるから話す人がいます。いじめられる子がいるからいじめる子がいます。

どんなことも1セットですから、自分が「いじめられる子」にならなければ、いじめる子を作らないということに理論上はなります。だとすると、「いじめたら面倒くさい奴だ」と思わせることができたらいじめられません。いじめる子も作らないということになります。

ところが、いったんいじめられると、抵抗すると余計にいじめられます。そこまでになって相手に「いじめると面倒くさい奴」と思わせるにはパワー(大きな力)がいります。

ですから、どんなことも最初が肝心です。相手が小さいエネルギーの間に対処しないと、大きくなるとひとりの力では手に負えなくなります。

その時は、面倒くさいと思わせるだけの大きな力で抵抗するか、自分の力では無理なら周りを巻き込むなりして、いじめられる側も大きいエネルギーで対抗しないといけなくなります。

ただ、それがなかなかできない人がいじめられているのだとは思います。それを非とはいえないでしょう。ただ、だからいじめられているということは自覚して欲しいと思うのです。

「いじめられている」ことで、自分を「ダメな人間」だとか「価値がない人間」だと考えてはいけません。

いじめられることと、人間としての価値は関係ないからです。ダメな人間だからいじめられていると自分を責めると、それだけで抵抗するエネルギーが消耗します。余計にいじめやすくなってしまいます。

自分が「いじめると面倒くさい奴」にならなければ、いじめは止まりません。

◯いじめて欲しくないと主張する

 

メンタリストのdaigoさんのいじめの話があります。daigoさんは、小1から中2まで8年間いじめにあっていたそうです。

いじめで一番怖いのは慣れだそうです。自分はダメな人間だと受け入れてしまうことが一番ダメです。daigoさん自身も、自分がバカにされることを受け入れていたのだと言います。そうするとますますいじめがエスカレートします。

しかし、 8年目に変わるときが来たのです。大好きな母親をバカにされ、ついにやり返しました。

工作室に置いてあったナタをいじめっ子に向かって投げました。結果はそこらへんの壁に当たって終わったのですが、それがキッカケであいつヤバイとなって、いじめがなくなったそうです。

ケンカをススメているわけではありませんが、自分が動いたときに周りがこれだけ変わるんだということを実感したといいます。

daigoさんは「自分を変えないといけないというひっ迫した状況にあることはチャンスなんだ」といいます。「やり返す」という心ではなく、いじめて欲しくないという気持ちを主張することは、いじめを止めるために絶対に必要なことです。

◯善悪で判断しない

 

善悪で判断するなら、いじめる側が悪いのは当たり前です。しかし、自分が正しいからいじめが止まるわけではありません。いじめの本質は善悪ではないからです。

いじめだけではありません。すべての出来事、事柄は1セットなのです。

繰り返しますが、モノを買う人がいるから売る人がいます。話を聞く人がいるから話す人がいます。いじめられる子がいるからいじめる子がいます。つまり善い人がいるから悪い人がいるわけです。

いじめを善悪で見ている限り、いじめはなくなりません。いじめる子がいなくなるためには、いじめられる子もいなくなる必要があるのです。

いじめは、いじめている方にも、いじめられている方にも理由があります。

これは2022年冬に放送された菅田将暉主演のドラマ「ミステリと言う勿れ」の話です。

子どもの頃にいじめられていた淡路一平は「本当は逃げたかった」と告白します。

それを聞いた主人公の久能整(くのうととのう)は、こう言います。

 

「僕は常々思ってるんですが(これが整の独特の語りだし)、どうしていじめられている方が逃げなきゃならないんでしょう?

欧米の一部では、いじめてる方が心が病んでいると判断するそうです。いじめなきゃならないほど病んでる。だから隔離してカウンセリングを受けさせて癒すべきだと考える。

でも日本は逆です。いじめられてる子に逃げ場をつくってなんとかしようとする。

でも逃げると学校に行けなくなって損ばかりすることになる。

DVもそうだけど。どうして被害者側に逃げさせるんだろう。

病んだり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者の方なのに。」

周りが行うべきサポートは、いじめられている子を守ることではなく、抵抗する力をになってあげることです。

いじめられている子が声を上げるなり、daigoさんのように「いじめるとヤバい」と思わせられるようになるまで共に戦ってあげることです。隣にいるだけで抑止力になります。いじめる子からすると「面倒くさい」になるのです。

物事を善悪で判断していると、どんなことも解決しません。誰もが自分が正しいと信じているからです。立場が変われば善悪は簡単にひっくり返ります。正しいから救われるということはないのです。

たとえば、「挨拶」。こちらが「おはよう」と言うと相手は「おはよう」と返してきます。もし、挨拶をなくそうと思ったら、自分が「おはよう」を言わないことです。そうすれば、そのうち相手からの「おはよう」はなくなります。

自分がいじめられない人になれば、いじめる子もいなくなり「いじめ」はなくなります。いじめをなくすためには、自分が「いじめられる子」でなくなるしかないのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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●今日のまとめ

今日は「いじめられている方に非はある?|いじめをなくす方法と題して、いじめをなくす方法について考えました。

○いじめられている方に非はある?|いじめをなくす方法

非はありませんが、理由はあるでしょう。いじめても大丈夫と思わせているのが理由です。それを非というなら非かもしれません。

◯いじめて欲しくないと主張する

daigoさんは「自分を変えないといけないというひっ迫した状況にあることはチャンスなんだ」といいます。「やり返す」という心ではなく、いじめて欲しくないという気持ちを主張することは、いじめを止めるために絶対に必要なことです。

◯善悪で判断しない

物事を善悪で判断していると、どんなことも解決しません。誰もが自分が正しいと信じているからです。立場が変われば善悪は簡単にひっくり返ります。正しいから救われるということはないのです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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