死は解放か、それとも怖いものか?|生も死もただの変化

人は死ぬと「私」という意識から解放されると考えられます。
死を怖いと思うかどうかは、人それぞれです。
「生と死はつながっている」と理解できれば、恐れはなくなります。
大切なのは、生きている間に執着を手放すことです。
今日は「死は解放か、それとも怖いものか?|生も死もただの変化」と題して、生と死について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●おすすめYouTube
くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!
今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。
●井上尚弥の父がヤバすぎる #ボクシング #格闘技 #井上尚弥
●死は解放か、それとも怖いものか?|生も死もただの変化
○死は解放か、それとも怖いものか?|生も死もただの変化
死は解放だと思いますか?怖いもんじゃないですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10310254150)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
チベットの高僧、リンポチェさまより、こうお聞きしました。
「人間は死ぬと、すべてのしがらみから解放される。だから、すべての人は幸せになる」と。すべてのしがらみが「私」という意識を作り上げています。その「私」から解放されるということなのだと思いました。ですから、死ぬということは「私」という意識からの解放だと考えています。
そのことを怖いと思うかどうかは、人それぞれではないでしょうか。リンポチェさまからは「幸せになる」と聞きました。
生きているとか、死んでいるという言葉で捉えると、怖いことだと思う人もあるかもしれません。他方で、「私」であることで、抑制されていること、我慢していること、背負っていることからは間違いなく解放されるでしょう。
私が「私」でなくなることを、どう捉えるか?で、どう感じるかも変わるかと思います。
死を「終わり」ではなく「変化」として受け入れることができれば、その概念自体が恐怖を持たなくなるのかもしれません。そして、「解放」とは何かを問うことが、私たちの生き方をより深く考える契機となるのではないでしょうか。
◯「空」という概念
龍樹菩薩(ナーガールジュナ)が説かれた「空」という概念があります。
「空」とは、すべてのものは、固定した実体や不変の本質を持たないことを意味します。龍樹菩薩は、お釈迦さまの説いた、あらゆるものは、他の存在との関係性の中で常に変化し続けるという「縁起」の道理を「空」という言葉で体系化し、深化させました。
不生(ふしょう) なにものも生じない、不滅(ふめつ) なにものも滅しないと説いたのです。始まりもなければ終わりもないということです。
「私」という意識があるうちは生が始まりであり、死が終わりだという感覚から逃れることができません。ですが、そうではありません。私たちが「私」を意識する前から「私」は在り、「私」という意識が無くなってからも「私」は在るのです。
この世界は「在るでもなく、無いでもない」ということです。
そう考えた時、「生きている今」と「死んでいる今」は、同じだということになります。何が違うのか?それは在ると思っているものが、実は無いのだということを「私」という意識が無くなった時に気づくということです。これが解放です。
つまり、死を「無」と捉えるのではなく、「空」として捉えることで、生と死の境界は消えてしまうのです。私たちが死を恐れるのは、「私」という固定された存在が消えることへの不安からくるものですが、その「私」自体が本来「空」であるならば、その恐怖もまた実体のないものと言えるでしょう。
◯死は怖いものなのか?
結局のところ、「死は解放なのか、それとも怖いものなのか」という問いに対する答えは、私たちがどのように「死」というものを捉えるかにかかっています。
「私」という意識にこだわればこだわるほど、死は怖いものになるでしょう。しかし、もし死がただの変化であり、すべては「空」であると理解できたなら、死を恐れる必要はなくなるのではないでしょうか。
死を「解放」と考えるとき、それは「私」という意識からの解放を意味します。しかし、生きている間に「私」という意識に囚われず、執着を手放すことができれば、死を待たずともすでに解放されているのではないでしょうか。
つまり、「死は解放か?」という問いの答えは、私たちが「生きるとは何か?」をどう捉えるかによって変わります。生を苦しみと考えれば死は解放になるでしょうし、生を喜びと考えれば、死はその延長線上にある自然な変化となるでしょう。
死を恐れるのではなく、それを深く見つめることが、生をより充実したものにする鍵なのかもしれません。そして、「生も死もただの変化」と受け入れることができたなら、私たちは本当の意味で自由になれるのではないでしょうか。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●今日のまとめ
今日は「死は解放か、それとも怖いものか?|生も死もただの変化」と題して、生と死について考えました。
○死は解放か、それとも怖いものか?|生も死もただの変化
「人間は死ぬと、すべてのしがらみから解放される。だから、すべての人は幸せになる」と。すべてのしがらみが「私」という意識を作り上げています。その「私」から解放されるということなのだと思いました。ですから、死ぬということは「私」という意識からの解放だと考えています。
◯「空」という概念
「私」という意識があるうちは生が始まりであり、死が終わりだという感覚から逃れることができません。ですが、そうではありません。私たちが「私」を意識する前から「私」は在り、「私」という意識が無くなってからも「私」は在るのです。
◯死は怖いものなのか?
結局のところ、「死は解放なのか、それとも怖いものなのか」という問いに対する答えは、私たちがどのように「死」というものを捉えるかにかかっています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません