軽んじられる原因と誇り|常不軽菩薩から学ぶ信念

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他人を敬い続けることで、自分の価値を高めることができます。

外部の評価ではなく、自分の信念を大事にすると、軽んじられることも誇りに変えられるのです。

今日は「軽んじられる原因と誇り|常不軽菩薩から学ぶ信念と題して、常不軽菩薩について考えます。

 

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●軽んじられる原因と誇り|常不軽菩薩から学ぶ信念

 

○軽んじられる原因と誇り|常不軽菩薩から学ぶ信念

 

人から見下される、軽く見られることを誇りに思うにはどうすればいいですか。

そのような扱いをされる原因はこちらにあります。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12310079772

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

まず、軽んじられることを誇りに思おうとする姿勢が素晴らしいと思います。

法華経の中に常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩さまが出てこられますが、その姿に通じるものがあると思いました。

常不軽菩薩を仏教思想研究家の植木雅俊先生はこう訳されます。

「常に軽んじていないのに、常に軽んじていると思われ、結果として常に軽んじられているけど、最終的には常に軽んじられない菩薩」。

常不軽菩薩は、いくら自分が軽んじられようとも、決して自分以外のすべてを軽んじることはなかったのです。彼はどんな人にも「私はあなたを軽んじません。なぜなら・・あなたはいずれ悟りを得てブッダとなる方だからです」という意味のことを言い続けたといいます。

この行動は非常に難しいものです。なぜなら、軽んじられるという行為そのものが、自尊心を揺るがし、他人を軽んじ返したいという誘惑を生むからです。それにも関わらず、常不軽菩薩は他者を敬い続けたのです。

この姿勢から学べるのは、他者からどのように扱われようとも、自らの尊厳と信念を保ち続けることで、最終的には周囲の尊敬を集めるということです。軽んじられることを受け入れ、その中で自分自身を成長させること。それが菩薩行であり、最終的には自分の望む姿へと導かれる道なのです。

◯軽んじられることで誇りを積む

 

軽んじられることを誇りに思うとは、自分の価値を外的要因で測らず、自らの内なる信念に基づいて自己評価することです。外部からの評価に振り回されるのではなく、自分自身が納得できる生き方を選び取ることが、真の誇りを築く鍵です。

常不軽菩薩の姿勢はまさにその典型です。どんな扱いを受けようとも、「相手はいずれ悟りを得る存在である」と見据える強さ。それは、自らの価値基準を他人の評価に依存しないからこそ可能になるものです。

そして、軽んじられることは、自分の人間性を深める機会ともいえます。なぜなら、そうした状況においてこそ、自分の心の在り方が問われるからです。他人の態度に反応してしまうのではなく、自分の信念を軸に行動する。この一貫した態度が、自分をより強く、より尊い存在へと成長させるのです。

いくら軽んじられても、自分の中に確固たる信念があれば、その扱いはもはや障害ではなく、むしろ誇りを積み重ねることになるでしょう。他人からの扱いに動じず、自分の価値を見失わないこと。これが軽んじられることを誇りに思うための本質であり、最終的には「軽んじられない存在」へと自分を高めていく道なのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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●今日のまとめ

今日は「軽んじられる原因と誇り|常不軽菩薩から学ぶ信念と題して、常不軽菩薩について考えました。

○軽んじられる原因と誇り|常不軽菩薩から学ぶ信念

他者からどのように扱われようとも、自らの尊厳と信念を保ち続けることで、最終的には周囲の尊敬を集めるということです。軽んじられることを受け入れ、その中で自分自身を成長させること。それが菩薩行であり、最終的には自分の望む姿へと導かれる道なのです。

◯軽んじられることを恐れない

常不軽菩薩のように、軽んじられることを恐れるのではなく、相手を敬う姿勢を持ち続けることが大切です。この姿勢が最終的には周囲の尊敬を集め、自分自身を軽んじられない存在へと変えるのです。相手を敬うことを選ぶ。それが軽んじられる現実を変える第一歩なのです。

◯軽んじられることで誇りを積む

いくら軽んじられても、自分の中に確固たる信念があれば、その扱いはもはや障害ではなく、むしろ誇りを積み重ねることになるでしょう。他人からの扱いに動じず、自分の価値を見失わないこと。これが軽んじられることを誇りに思うための本質であり、最終的には「軽んじられない存在」へと自分を高めていく道なのです。

 

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