崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方
崇高な生き方とは、自分の欠点を認め、日々努力し続けることです。
他者を思いやり、一生懸命取り組みつつ、自分がまだ足りないとお詫びする姿勢が大切です。
今日は「崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方」と題して、崇高な人間について考えます。
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●崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方
○崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方
崇高な人間なんているんですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12306381987)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
他人から見て崇高であることも立派なことですが、崇高にはまだまだ足らない自分を認めて、崇高であろうとしていることが崇高な生き方だと思います。
崇高という言葉には、ある種の理想的な人間像が込められているように思います。それは他人から見ると、清廉潔白で、非の打ち所がないような存在であるべきだという期待が反映されているのでしょう。しかし「崇高であろうとすること」が本当の意味で崇高な生き方ではないでしょうか。
完璧な人間など、この世に存在しないというのが現実です。誰しも欠点があり、何かしらの不足を抱えて生きています。それでも、その欠点を認識し、それを補う努力をすることこそが、崇高さの本質に近づくのではないかと私は考えます。
たとえば、あなたが日々抱えている不安や迷い、時には人に対して感じる怒りや嫉妬など、そうした感情を否定せずに、それを認めて生きることは、決して楽なことではありません。むしろ、自己肯定感が高く、安易に自分を肯定できる人が少ないからこそ、日々「自分はまだまだ足りない」と感じて努力している人たちこそが、本当に崇高な生き方をしていると言えるのです。
他人から崇高だと思われることだけを目指すのではなく、常に自分を高めようとする姿勢こそが、真の崇高さを生むのではないでしょうか。
質問の回答としては、いわゆる完璧な人、崇高な人というのはいませんが、崇高であろうとする姿が崇高である。つまり崇高な人はいるといえるのです。
◯お詫びする生き方
一燈園の三上和志先生の著書「人間の底」に「他を動かす力」というものが出てきます。
そこには、こうあります。
「身を捨てて、ささげて、尚ささげ方が足りないもののようにお詫びすること」
身を捨てて、捧げてとは、自分の力を尽くしてという意味です。自分の力を尽くして、それでも尚「お詫び」するのか?と思われるかもしれませんが、これが一番「他を動かす」のだというのです。
たとえば、職場で、まだ未熟な後輩が自分のこともままならないのに、先輩である自分の助けになろうとしている。しかも、自分の力が足りなくて、まだまだ役に立てずに申し訳ないという姿でいる。こんな後輩をもった経験がある人も少なからずいると思います。こういう後輩はとても健気で可愛く思いませんでしょうか?なんとか、この後輩が一人前になるように、先輩として助けてやろうと思わされます。「人間の底」で書かれている「お詫びする」とはこういうお詫びのことです。
この後輩の健気な姿こそ、崇高な生き方だと思うのです。
立場を換えて、先輩が後輩に対して、一生懸命に指導をしているとします。自分の持っている知識やスキルを手取り足取りすべて教えて、できることはすべてやっている。それでも、まだ未熟ですから、後輩は間違ったり、失敗することもあるでしょう。
その時に「教えたじゃないか!」と後輩が悪いと言い放つ先輩と、「自分の教え方が悪かった。まだそこが分かってなかったのか。気づいてあげられなくて申し訳ない」と、自分の教え方が悪かったとお詫びする先輩。どちらが、後輩を奮起させるでしょうか?
恐らくは、後者でしょう。後者のような態度を先輩にとられた後輩は、二度と先輩に恥をかかせてはいけないと自ら仕事を覚えて、教えられていないことでもできるようになろうと、自ら動き出すのではないでしょうか。
悪いことをしてお詫びするのは当たり前ですが「良いことをして」、ここで言う良いこととは一生懸命に取り組むということです。一生懸命に取り組んだ上で、それでも自分が足らないとお詫びをすると、他を動かす力となるのです。
「この人のために」自分も力を尽くさないといけないと相手に思わせる力になるのです。
このような生き方が崇高な生き方だと思うのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方のまとめ
今日は「崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方」と題して、崇高な人間について考えました。
○崇高な人間とは何か|崇高を目指す生き方
他人から見て崇高であることも立派なことですが、崇高にはまだまだ足らない自分を認めて、崇高であろうとしていることが崇高な生き方だと思います。
○お詫びする生き方
身を捨てて、ささげて、尚ささげ方が足りないもののようにお詫びすること。
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