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無我の境地って?|無我を見抜く

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「無我」とは、自分だけが全てではなく、周りの人や物と繋がっているということに気づくことです。

特別なことをするのではなく、普段の生活の中で、自分と周りのことを考え、つながりを意識することが大切なのです。

そうすることで、自分自身をもっと深く知ることができるのです。

今日は「無我の境地って?|無我を見抜くと題して、無我の境地について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

●無我の境地って?|無我を見抜く

 

○無我の境地って?|無我を見抜く

 

どうすれば無我の境地に達することができるのでしょうか…?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14305783584

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

仏教には「諸法無我」という教えがあります。「諸法無我」とは、文字通り「すべての事象や存在は無我である」という意味です。これは、私たちが日常で感じる「私」という意識や感覚も、さまざまな要因や条件によって形成されているものであり、恒常的な「私」や「自我」は存在しないという教えです。

だとすると、無我の境地というのは達するものではなく、見抜くものではないでしょうか。

たとえば、自分を絵に描こうとした時、自分を描かなくても、周りにある人や物、建物(空間も含む)などを描くと自分が浮かび上がってきます。

そもそも自分(我)というものがあるのではなく、周りにある人、モノ、出来事、そして時間によって、自分(我)という存在がその都度(今この瞬間)形成されているという見方をすることが、無我を見抜くということです。

この教えがこの世界の仕組みとして正しいかどうかは、この教えの本質ではないと思います。どういうことか?というと、たとえ、正しくなかったとしても、このことを前提に世界を見ることで、あるひとつのことに気づくことができるからです。

言葉にするとすごく簡単なことに感じるかもしれませんが、「自分がすべてではない」ということです。人間は主観でしか物事を見ることができません。いつでも、自分が正しく、自己中心で、いつでも自分がこの世界の中心です。ちょっと不都合なことが起こると悲劇のヒーロー、ヒロイン気取りです。

しかし、「諸法無我」を前提に、この世界を見た時、自分はこの世界の中心なのではなくて、この世界の一部だということに気づくのです。

◯無我の境地は、自分との対話から生まれる

 

無我の境地は、いきなり悟るようなものではありません。日々の生活の中で、自分自身と向き合い、思考を深めていくことで、少しずつ近づいていくものです。

日々の生活の中で、全体の中の自分という感覚で今目の前の出来事を眺めます。自分が眺めているのではなく、自分を含めた全体という存在の視点から眺めるのです。

それが引いては、自分自身と向き合うことになります。これまでの「自分(我)」が眺めている時は、自分が眺めることに精一杯で、自分自身と向き合う余裕はなかったのではないでしょうか?

それが全体という視点から眺めることで、必然的に自分を眺めることになります。「自分が眺めている」という立ち位置から「自分を眺めている」という立ち位置を得るのです。全体の視点とは、違う表現をすれば神さまの視点です。神さまの視点で眺めることで、自分自身の存在感を深く感じることができるのです。

◯無我の境地は、生き方そのもの

 

無我の境地は、特別な状態や場所にあるものではなく、生き方そのものと言えるでしょう。無我の境地を生きるということは、自分という枠にとらわれず、周りの人や環境と一体となって生きていくことです。

他人を思いやり、感謝の気持ちを持ち、自然と調和して生きる。そうすることで、私たちはより豊かな人生を送ることができるでしょう。

無我の境地は、決して難しいものではありません。

日々の生活の中で、少し意識を変えるだけで、誰でも無我的な生き方を始めることができます。大切なのは、自分自身と向き合い、心の声に耳を傾けること。そして、自分にとっての「無我」を模索し続けることです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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●無我の境地って?|無我を見抜くのまとめ

今日は「無我の境地って?|無我を見抜くと題して、無我の境地について考えました。

○無我の境地って?|無我を見抜く

仏教には「諸法無我」という教えがあります。「諸法無我」とは、文字通り「すべての事象や存在は無我である」という意味です。これは、私たちが日常で感じる「私」という意識や感覚も、さまざまな要因や条件によって形成されているものであり、恒常的な「私」や「自我」は存在しないという教えです。

だとすると、無我の境地というのは達するものではなく、見抜くものではないでしょうか。

○無我の境地は、自分との対話から生まれる

無我の境地は、いきなり悟るようなものではありません。日々の生活の中で、自分自身と向き合い、思考を深めていくことで、少しずつ近づいていくものです。

日々の生活の中で、全体の中の自分という感覚で今目の前の出来事を眺めます。自分が眺めているのではなく、自分を含めた全体という存在の視点から眺めるのです。

○無我の境地は、生き方そのもの

無我の境地は、特別な状態や場所にあるものではなく、生き方そのものと言えるでしょう。無我の境地を生きるということは、自分という枠にとらわれず、周りの人や環境と一体となって生きていくことです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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