優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心

人に優しくすることは、相手を喜ばせるだけでなく、自分の欲望や承認欲求を満たす行動でもあります。
気づいていない場合が多いですが、相手の喜びが自分の満足感につながっています。
今日は「優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心」と題して、優しさは自己犠牲?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
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ありがとうございます。
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●優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心
○優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心
いつも人に優しく、気遣い出来る人って、自分勝手さだったり、先に自分の様々な欲望を満たす事を優先したいと思うことはないんですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12305482412)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
すべての人がそうではないかもしれませんが、優しくしたり、気遣いをすることで、相手が喜んだり、助かったりすることが、自分の幸せや喜び、承認欲求を満たしてくれるという人もいます。つまり、相手のために行動することが、自分の欲望、欲求を満たすことになっているのです。
このような行動は、他者との関係性を通じて、自分の価値を実感する手段として機能しています。たとえば、友人が困っているときにサポートすることで、自分がその友人にとって大切な存在であると感じ、自分の価値を実感することができます。その結果、感謝の言葉や表情が報酬となり、自分の心を満たすのです。相手を喜ばせることが、自分の幸福や満足感に直結するため、この種の優しさは自分の欲望を満たす行動として捉えることができるでしょう。
そういう人にとって、相手のために行動することは、自分を後回しにしているわけではありません。正確に言うなら、自分を後回しにすることと、自分の欲望を満たすことがイコールなのです。このような関係性において、他者に優しくすること自体が自己実現や自己充足の一部となっているのです。
ただし、それを自覚している人はほとんどいないかもしれません。というのは、相手のために行動することが自分のためだと自覚していれば、見返りがなくても腹を立てる必要はないはずですが、ほとんどの場合、相手からの感謝の気持ち、つまり「ありがとう」を期待しています。人間は他者からのフィードバックを求めがちで、感謝や評価を得ることで行動が強化されるからです。
もちろん、「ありがとう」を期待しても構わないのですが、自分のためだという自覚があれば、相手が喜んでくれた時点で、自分の目的は達成しているはずです。「ありがとう」の期待が外れたとしても、それほどショックを受ける必要はないはずなのですが、多くの場合、相手から「ありがとう」が返ってこないと、がっかりしたり、つまらないという気持ちになったり、二度とやらないといった気持ちになってしまいます。この反応は、他者に依存して自分の満足を得ているため、期待が裏切られたと感じるからです。
いつも、人に優しく、気遣いが出来る人にとって、「相手にために行動すること」と「ありがとうが返ってくること」は、セットになっているようです。「相手のためのようで、自分のため」。これが人間の性なのでしょう。
◯すべての行動は自分のため?
「すべてのこと」と断定して間違いないと思いますが、人は、どんな行動も最終目的(目的の目的)は「自分のため」です。それを認めた方が、潔いし、また、その方が物事をシンプルにありのままに見ることができます。
たとえば、誰かのために何かをするとき、多くの場合、その行動の背景には「自分が満足感を得たい」「自己評価を高めたい」といった内なる動機が隠されています。優しい人ほど、「相手のため」を思って行動していると信じ込む傾向がありますが、その根底にはやはり自分を満たしたいという欲望があるのです。無意識のうちに、自分の価値や存在意義を他者との関わりの中で確認したいという心理が働いています。
「相手のため」を思って言っている。よく使われる言葉です。特に優しい人ほど、そう思うことが多いのではないでしょうか。これは自己犠牲的な姿勢に見えますが、実際には「相手のために何かをすることで、自分自身が良い人間だと感じたい」あるいは、他者からそう思ってもらいたいという無意識の動機が含まれています。このことを認識すれば、行動の意図がより明確になり、人との関係もストレスが少なくなるでしょう。
他者への配慮や優しさは、自分の内面的な欲求を満たす手段であると自覚することで、自分自身をより理解し、他者との関係をシンプルに見ることができるのです。また、この自覚があれば、他人の反応に過度に期待することなく、自己充足感を得ることができるでしょう。
◯自己満足と他者貢献のバランス
「人に優しくすることが、自分を満たすための行動だ」という自覚は、自己中心的に聞こえるかもしれません。しかし、これを理解することは、よりバランスの取れた人間関係を築く上で重要です。
自己満足と他者貢献のバランスを保つことができると、より健全な関係性が築けます。相手のために尽くす一方で、自分の欲望も満たすということは、単純な利己主義とは違います。自分の内なる欲求を認識しつつ、それが他者にも良い影響を与えるのであれば、それは一石二鳥の行動と言えるでしょう。また、その自覚が深まるほど、自信と確信を持って行動できるようになります。
たとえば、ボランティア活動に参加している人たちの中には、自分が社会に貢献しているという感覚を得たいと考える人が多くいます。その行動が自己満足に繋がると同時に、他者や社会に役立つという点で、バランスの取れた形で自分と他者の両方を満たしているのです。
結局のところ、優しさや気遣いも、自分の幸福感を高めるための一手段であることを認識すれば、他者との関わりがより自然体で心地よいものになるでしょう。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心のまとめ
今日は「優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心」と題して、優しさは自己犠牲?について考えました。
○優しさは自己犠牲?|優しさで満たされる心
優しくしたり、気遣いをすることで、相手が喜んだり、助かったりすることが、自分の幸せや喜び、承認欲求を満たしてくれるという人もいます。つまり、相手のために行動することが、自分の欲望、欲求を満たすことになっているのです。
○すべての行動は自分のため?
人は、どんな行動も最終目的(目的の目的)は「自分のため」です。それを認めた方が、潔いし、また、その方が物事をシンプルにありのままに見ることができます。
たとえば、誰かのために何かをするとき、多くの場合、その行動の背景には「自分が満足感を得たい」「自己評価を高めたい」といった内なる動機が隠されています。
○自己満足と他者貢献のバランス
「人に優しくすることが、自分を満たすための行動だ」という自覚は、自己中心的に聞こえるかもしれません。しかし、これを理解することは、よりバランスの取れた人間関係を築く上で重要です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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