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我が道を行く|世の中のために生きる

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「我が道を行く」と「他人のために生きる」は矛盾していませんか?

世の中のために生きることが「我が道」なら、矛盾しません。自己中心的ではなく、他人のために行動することで、自分も幸せになれます。

今日は「我が道を行く|世の中のために生きると題して、我が道について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

●我が道を行く|世の中のために生きる

 

○我が道を行く|世の中のために生きる

 

我が道を行きなさい、他人は他人、自分は自分とかいいますがあの人は好き、この人は嫌いとか人間どうし助け合ってるとか、

周りに合わせないとか言ってること我が道を行ってたら社会にでたらに出たらただのわがままでは?矛盾してる気がしますが矛盾していますよね?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11301520461

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

世の中のために生きることが「我が道」ということであれば矛盾はしないと思います。

たしかに「自分のためだけ」だと、ただのわがまま、自分勝手、自己中心的になると思います。

我も世の中の一部です。世の中には、「我」も入っていますので、「世の中のため」の中に「自分のこと」が入っても矛盾しません。

ですので、全体のため、世の中のためになることが、「我が道」であれば「我が道を行きなさい」は良いことだと思います。

自利と利他が一致していますので、悩んだり迷ったりしてエネルギーが分散せずにエネルギーがひとつに集まります。我にとっても充実した「我が道」を行けるのではないでしょうか。

◯理想の世界

 

 

世の中には色々な人がいます。色々な我がいます。

そのたくさんの我の集まりがこの世界です。その人たちが、皆「我が道」を行けるなら、それが理想的な世界ではないかと思います。

話の原典は定かではありませんが、「天国と地獄の長い箸」という有名な話があります。

 

昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。

最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。

食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。

それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。

罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。

次に、男は、極楽へ向かいました。

夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。

「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。

「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。

にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。

男は、「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。

(出典:https://bukkyouwakaru.com/dic/s34.html

 

「長い箸」のような教訓はたくさんあります。「情けは人の為ならず」相手のためになることをすることが自分の幸せにもなるのです。

そのことを多くの人は知っていると思いますが、現実に実践できる人は多くないかもしれません。

貧乏くじを引くことを恐れているのです。

他人のためを思って行動したからといって、必ず自分に良いことが返ってくるとは限らないからです。

ですが、他人のために行動するだけで、それが貧乏くじになったとしても、自分の中に気持ちが良いものが残ります。

それを幸せだと思うことができたら、幸せになることが、とても簡単になると思うのです。

◯損得では計れない幸福

 

損得で測った時、誰かが得した分、それと同じだけ損をした人が存在することになります。

我が「我が道」を行くことは、誰かの「我が道」を阻むことになります。

だから「皆が幸せになる」「世の中のため」は、矛盾しているように感じるのです。

長い箸の話では、極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めます。

この瞬間だけを切り取ると、「どうぞ」と言って他人に食べさせる人が損をしています。もし、食べさせてもらった人がお返しをしなければ貧乏くじを引いただけになります。

でも次の瞬間、「今度は、お返ししますよ」と、相手の方がお返しをしてくれます。

その瞬間は損得が発生しても、次の瞬間でお互いが幸せになります。

「人間万事塞翁が馬」ということわざもありますが、その瞬間だけで良し悪しを判断することはできません。

その時の損得だけで、自分の幸せを判断してはいけないのです。損して得取れとも言います。

他人のためになることをすることが、自分の幸せになると信じることが、自分の幸せになるのではないかと思います。

「我が道を行きなさい」とは、自分のためだけに生きるのではなく、他人と共に生きることが求められているのです。

自己中心的な行動は、短期的には得をするかもしれませんが、長期的には自分の幸福にはつながらないことが多いです。

ですから、「我が道を行く」ことと「他人のために生きる」ことは、決して矛盾しているのではなく、むしろ同じ方向を指しているのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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●我が道を行く|世の中のために生きるまとめ

今日は「我が道を行く|世の中のために生きると題して、我が道について考えました。

○我が道を行く|世の中のために生きる
全体のため、世の中のためになることが、「我が道」であれば「我が道を行きなさい」は良いことだと思います。
自利と利他が一致していますので、悩んだり迷ったりしてエネルギーが分散せずにエネルギーがひとつに集まります。我にとっても充実した「我が道」を行けるのではないでしょうか。

○理想の世界
世の中には色々な人がいます。色々な我がいます。
そのたくさんの我の集まりがこの世界です。その人たちが、皆「我が道」を行けるなら、それが理想的な世界ではないかと思います。

○損得では計れない幸福
自己中心的な行動は、短期的には得をするかもしれませんが、長期的には自分の幸福にはつながらないことが多いです。
ですから、「我が道を行く」ことと「他人のために生きる」ことは、決して矛盾しているのではなく、むしろ同じ方向を指しているのです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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