心の自由とは何ですか?|不安は自由のめまい

心の自由とは何でしょうか?
それは、ただ時間や社会の制約から解放されるだけでなく、自分自身の恐れや不安からも自由になることです。
心の自由は、外的な束縛と内面的な束縛の両方から解放されることを意味します。
自分の恐れや不安、偏見から解放され、自分の価値観に基づいて行動することが大切です。
今日は「心の自由とは何ですか?|不安は自由のめまい」と題して、心の自由について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
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奇跡を感じている
くろちゃんです。
●心の自由とは何ですか?|不安は自由のめまい
○心の自由とは何ですか?
心の自由とは何ですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11300914346)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
心の自由とは?
何にも縛られない時間のことを自由と思いがちですが、それは、心が自由なのではなくて、一時的に身体が自由になっているに過ぎません。
生きていれば、時間や社会から何かしらの制限(ルールや常識とおぼしきもの)を受けています。その制限の中で、時折訪れる解放感が本当の自由です。
そして、そのことを理解し、心からその解放感を楽しめることを「心の自由」と言うのではないかと思います。
自由とは、外的な束縛から解放されることだけでなく、内面的な束縛からも解放されることを意味します。
つまり、自分自身の恐れや不安、偏見や固定観念から解放されることです。
心の自由とは、ありのままの自分と自由に付き合えるということでもあります。
社会的な期待や他人の評価に囚われず、自分自身の価値観や信念に基づいて行動することができるということです。このような心の自由を得るためには、自分をよく知り、受け入れていることが必要です。
つまり、自分の本当の気持ちや欲望を素直に認め、その自分自身をありのままに受け入れることです。
◯自由は不自由
「自由は不自由やで」
戸田恵梨香主演の2019年の朝の連続テレビ小説『スカーレット』に節目節目に登場する世界的芸術家ジョージ富士川(西川貴教)の格言です。
モデルは岡本太郎だとか。私たちは、自由になりたいというけれど、本当に自由になると何していいかわからなくなります。だから自由は不自由なのです。
たとえば、毎日書いているこのブログでも、自分のブログですから自由に何でも書いていいのですが、自由に書くのは難しい。というより無理です。
何かテーマが必要です。何かお題があれば、それについて書くことが出来ます。ですから、今日は何について書くのか、お題を探すのが一番骨が折れます。お題が決まれば、たいていはあっという間に書けます。
みんな自由が欲しいと口では言いますが、本当に自由になれる人はいないと思います。たとえば、『どこにでも自由に行きたい!』『どこにでも行ける自由が欲しい』と思ったとします。
それは自分が知っている範囲の中で自由に好きに行きたいだけのことです。知らず識らずに自分で枠を決めていて、その中で自由になりたいと言っているにすぎないのです。
このように、完全な自由は逆に不自由さを感じさせることがあります。
なぜなら、自由には責任が伴うからです。自由な選択には、その結果に対する責任があります。
その責任を果たすためには、計画や準備、努力が必要です。自由には、自分自身で道を切り開く力が求められるのです。
◯不安は自由のめまい
自分の心は、本来どこにでもいけます。
しかし、どこにでもいける自由は、あまりに自由すぎて、自分を不安にさせます。
哲学者キルケゴールの言葉に「不安は自由のめまいだ」という言葉があります。時間の制約も、自分を縛るルールもない自由は、何にも縛られない代わりに周りには何もない状態のことです。
困った時に支えてくれる人もモノもない。困り果て、手を差し伸べた時に掴まるところがない状態です。
その自由は、何にも縛られない代わりに、自分の力だけで生きていかなければならない。そんな「自由」です。
たとえて言うなら、道なき道を行くようなものです。道がないということは、どこを通ってもいいわけです。
しかし、この道を通れば安全だと約束された安心はありません。方向はあっているのか?危険はないのか?と、常に不安を抱えて進んでいくようなものです。
「心から自由である」という状態は、その責任を自覚しながら、解放感を謳歌することではないかと思うのです。
決して、手放しで、ワイワイガヤガヤと、居酒屋でどんちゃん騒ぎするような感覚のものではないと思います。自由には、自覚と責任が必要です。
心の自由を追求する旅は、一生続くものです。
それは、自分自身と向き合い続けること、そして成長し続けることです。その旅の中で、時には迷いや不安を感じることもあるでしょう。しかし、それもまた自由の一部です。
その不安や迷いを乗り越えることで、より深い自由を感じることができるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●心の自由とは何ですか?|不安は自由のめまいまとめ
今日は「心の自由とは何ですか?|不安は自由のめまい」と題して、心の自由について考えました。
○心の自由とは何ですか?
心の自由とは?
何にも縛られない時間のことを自由と思いがちですが、それは、心が自由なのではなくて、一時的に身体が自由になっているに過ぎません。
生きていれば、時間や社会から何かしらの制限(ルールや常識とおぼしきもの)を受けています。その制限の中で、時折訪れる解放感が本当の自由です。
○自由は不自由
みんな自由が欲しいと口では言いますが、本当に自由になれる人はいないと思います。たとえば、『どこにでも自由に行きたい!』『どこにでも行ける自由が欲しい』と思ったとします。
それは自分が知っている範囲の中で自由に好きに行きたいだけのことです。知らず識らずに自分で枠を決めていて、その中で自由になりたいと言っているにすぎないのです。
○不安は自由のめまい
自由は、何にも縛られない代わりに、自分の力だけで生きていかなければならない。そんな「自由」です。
たとえて言うなら、道なき道を行くようなものです。道がないということは、どこを通ってもいいわけです。
しかし、この道を通れば安全だと約束された安心はありません。方向はあっているのか?危険はないのか?と、常に不安を抱えて進んでいくようなものです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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