弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さ

自分の弱さを認めることは強さの証です。
完璧を装うと疲れるだけでなく、成長の機会も逃します。
弱さを認めることで、他人からサポートを受けやすくなり、成長につながります。
今日は「弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さ」と題して、弱さを認めるとは?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さ
○弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さ
自分の弱さに目を向け、その弱さをも認めるというのはどういうことなのでしょうか。
それができたら人生が少しよい方向にいく気がするのですが、やり方がわかりません。
バカっぽい質問かもしれませんが、真剣に知りたいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11300876336)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
全く馬鹿っぽくないです。
こういう質問ができるということが、自分の弱さに目を向けて、弱さを認めるということです。
わからないことはわからない、知らないことは知らないと言えることは、大事なことです。
ほとんどのことは言わないと、他人には伝わりません。
自分の弱さを認めて、隠さずに晒すことができるから、教えてもらえたり、助けてもらえるのです。
知らないということは、弱さかもしれませんが、それを認め、晒せるということは強さです。強さと弱さは表裏一体なのです。
多くの人が、自分の弱さを隠そうとする傾向があります。
社会的なプレッシャーや自己防衛のために、完璧であることを求められるからです。
しかし、完璧を装うことは疲れるだけでなく、成長の機会を逃すことにも繋がります。
自分の弱さを認めることで、他人からのサポートを受けやすくなり、自身の成長にもつながります。つまり、弱さを認めることは強さを育むための第一歩なのです。
◯強さと弱さのバランス
自分が強いと思っている人は、自分の弱さを知らなければならないし、自分を弱いと思っている人は、自分の強さを知らなければならないのです。
度々紹介している話です。
ある朝、お釈迦さまが集会で座っていました。
ある男がお釈迦さまのもとにやってきました。 その男は熱心な神奉者で、神の存在を信じて人生を生きてきましたが、人生も残り少なくなって来て、ほんの少しだけ疑いを持ってしまったのです。
「神がいなかったとしたら、これまで神を信じて来た私の人生はなんだったのだろう?」と。
この男は、人生のすべてを神に捧げてきたので、このような疑問を持ったのです。
もし、一日10分だけしか神に祈らない人なら、そんな疑問を持つことはなかったでしょう。
人生のすべてを神に捧げてきた人だからこそ、このような疑問を持ったのです。神を信じることで人生を浪費しているのかもしれないと。
神を信じない人もいます。
神を信じない人にも朝が来れば太陽は昇り、暖かくなれば花が咲きます。もしかすると、神を信じている私よりも信じてない人の方が良い人生を送っているかもしれないと疑問に思ったのです。
とうとう男はお釈迦さまに尋ねました。「神はいますか?」と。
お釈迦さまはその男に力強く明確にこう言いました。「いません」と。
それを聞いていた弟子たちは、喜びで狂気しました。神がいないとしたら、自分を見張っている存在も罰を与える存在もいないということです。集会場はお祭りのようになりました。
夕方、別の男がまたお釈迦さまの元にやってきました。
その男は大変な無神論者で、どれだけ神を信じている人がいても10分も話すと神がいないことを証明しました。
その男も、一生をかけて、神がいないことをたくさんの人に説いてきたのです。
やはり人生が残り少なくなってきて、「もし本当に神がいたとしたら?私は死ぬときにどんな罰を神から与えられるのだろう?」と、自分の考えに疑いを持ってしまったのです。その男もお釈迦さまに尋ねました。「神はいますか?」と。
お釈迦さまは言いました。「います」と。
また騒動が起きました。
人間には、強さも弱さもあります。
その両方を認めることが、ありのままの自分を認めるということです。
自分の強さを知っている人は、弱さを知らなければならないし、自分の弱さばかりに目がいく人は、自分の強さを知らなければなりません。
強さと弱さは相互に補完し合うものであり、一方がなければ他方も存在しないのです。
◯弱さを認めることは強さの証
自分の弱さに目を向け、それを認めることは決して簡単なことではありません。
しかし、それを実践することで、より充実した人生を送ることができるでしょう。
弱さを受け入れることで、他人との関係も深まり、自分自身の成長にもつながります。
何よりも、自分の弱さを認めることは、真の強さを見つけるための第一歩です。
逆に、自分の弱さに負けそうになる時は、小さくてもいいので、自分の得意なこと、強みに目を向けてください。
たとえば、毎日継続できていることや、遅刻はしないとか、綺麗好きだとか。自分ではたいしたことないと思っていることが他人から見た時に、羨ましい、真似したい、自分もできるようになりたいと思わせる強みだったりするのです。
強くなるということよりも、ありのままの自分を認めることが大切なことなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さまとめ
今日は「弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さ」と題して、弱さを認めるとは?について考えました。
○弱さを認めるとは?|強さの証としての弱さ
自分の弱さを認めて、隠さずに晒すことができるから、教えてもらえたり、助けてもらえるのです。
知らないということは、弱さかもしれませんが、それを認め、晒せるということは強さです。強さと弱さは表裏一体なのです。
○強さと弱さのバランス
人間には、強さも弱さもあります。
その両方を認めることが、ありのままの自分を認めるということです。
自分の強さを知っている人は、弱さを知らなければならないし、自分の弱さばかりに目がいく人は、自分の強さを知らなければなりません。
○弱さを認めることは強さの証
自分の弱さを認めることは、真の強さを見つけるための第一歩です。
逆に、自分の弱さに負けそうになる時は、小さくてもいいので、自分の得意なこと、強みに目を向けてください。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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