一事が万事とはどういうことか|一時も万事

人は、他人を見た目や行動の建前で判断しますが、本音や背景も大事です。
建前だけではその人全体を理解できないため、慎重に判断することが大切です。
一事が万事と思うことがありますが、本音と建前の両方を理解して人を見ましょう。
そうすることで、より良い人間関係を築けます。
今日は「一事が万事とはどういうことか|一時も万事」と題して、一事が万事について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●一事が万事とはどういうことか|一時も万事
○一事が万事とはどういうことか
人間社会に関しては、何を見ても、一事が万事と思ってしまう自分がおります。
同じだという方はいますか。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12299644042)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
同じように思っています。
一事が万事ですから、その人の第一声を聞いて、その人の人となりを想像してしまいます。
もちろん、それがすべてだとは思っていませんが、その第一声も「その人」の一部であり、その人の本音から発せられていることも間違いありません。
それがすべてではないことに加え、人間も諸行無常ですから、常に変化しています。あくまでも「今現在」であるという認識です。
人には、「本音」と「建前」があると言われます。
本音が、本当の「その人」なのでしょうか?
本音が美しければ、建前が醜くても、実はその人は良い人だと言えるのでしょうか?
どんなに本音が美しくても、建前が美しくなければ、やはり良い人ではないと言わなければいけません。
本音と建前、併せて「人」だからです。
だからと言って、建前だけを見て、その人のすべてを決めてしまうのは乱暴です。
なぜなら、本音で良いことを思っていて、建前で悪いことをしているとしたら、してしまうのには、してしまう理由があるからです。
本音と建前が「人」なら、その理由も、また「人」なのです。
理由を無視して、「その人」のすべてを決めてはいけないと思います。
よく、いかなる理由があっても許されないということを言いますが、それは当事者でないから、そう言えるのであって、当事者になってみれば、そうするより仕方がなかったかもしれないからです。
◯人は建前ではかられる
人は、「建前」しか見ていません。いえ、見ることができません。
ですから、多くの場合「建前」で判断します。建前を見て「本音」をはかります。
それは、他人が自分を見る場合も同じです。ですから、自分の第一声、一挙手一投足にも、自分が表れているのだということを忘れてはいけないのです。
「本当はこう思っているんだけど・・・」は、他人には見えないのですから。
建前だけを見て、人をはかってはいけないのですが、建前しか目に見えないのも現実です。
一方で、建前は人間関係を円滑にするための潤滑油でもあります。
例えば、職場や公共の場では、直接的な本音よりも建前で付き合った方が、人間関係の摩擦を避けることができるかもしれません。しかし、建前ばかりで生きていると、いよいよ自分の本音で生きることができなくなってしまいます。
人間には「一貫性とコミットメント」という心理作用があります。
一度心に決めたことや実行したことに矛盾のない行動を今後もとろうとする心理です。
一度、建前で付き合うと、本音で付き合うことに矛盾を感じてしまうのです。
建前は、あくまで本音の先にある自分の思いでなければいけません。
建前と本音が真反対であったり、本音を隠すための言動であってはいけないのです。
◯一時も万事
一事が万事ではありますが、一事で万事をはかってはいけません。
「一時も万事」なのです。
本音と建前、それに至った理由。細かく言えば言葉にできない思いが複雑にあるのが人間です。
そのすべてが「人」です。
自分の内面で起こっていることを考えれば、よくわかると思います。それと同じものが他人にもあるということです。
例えば、ある人が怒りっぽい態度を取ってしまったとしましょう。その瞬間だけを見れば、その人は「怒りっぽい人」と判断されがちです。
しかし、その背景にはストレスやプレッシャー、家庭の問題など、様々な要因が絡み合っているかもしれません。つまり、一事だけでその人全体を判断するのは早計です。
また、逆に一度良い行いをしたからと言って、その人が全て良い人だと決めつけるのも危険です。一事が万事ではないことを認識し、常にその人の全体像を見ようと努めることが大切です。
私たちは皆、多面的な存在であり、異なる状況や環境で異なる側面を見せるものです。
その多面性を理解し、受け入れることが、より良い人間関係を築くための第一歩となります。
人間を一事だけで判断するのは難しく、また危険でもあります。多くの面を見て、その人全体を理解する努力を怠らないことが重要です。
そして、自分自身も他人から一事で判断されることがあると認識し、常に誠実であるよう心掛けることが大切です。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●一事が万事とはどういうことか|一時も万事のまとめ
今日は「一事が万事とはどういうことか|一時も万事」と題して、一事が万事について考えました。
○一事が万事とはどういうことか
一事が万事ですから、その人の第一声を聞いて、その人の人となりを想像してしまいます。
もちろん、それがすべてだとは思っていませんが、その第一声も「その人」の一部であり、その人の本音から発せられていることも間違いありません。
○人は建前ではかられる
人は、「建前」しか見ていません。いえ、見ることができません。
ですから、多くの場合「建前」で判断します。建前を見て「本音」をはかります。
それは、他人が自分を見る場合も同じです。ですから、自分の第一声、一挙手一投足にも、自分が表れているのだということを忘れてはいけないのです。
○一時も万事
一事が万事ではありますが、一事で万事をはかってはいけません。
「一時も万事」なのです。
本音と建前、それに至った理由。細かく言えば言葉にできない思いが複雑にあるのが人間です。
そのすべてが「人」です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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