貧乏vs億万長者|結果がわからないからこそ、人生は価値がある

人生は結果がわからないからこそ意味があり、面白さがあります。
貧乏でも億万長者でも、確定した未来はつまらないと思うのです。
未来が不確かなことは、実は人生の真の魅力であり、不安は新たな可能性のでもあるのです。
今日は「貧乏vs億万長者|結果がわからないからこそ、人生は価値がある」と題して、貧乏vs億万長者について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●貧乏vs億万長者|結果がわからないからこそ、人生は価値がある
○貧乏vs億万長者|結果がわからないからこそ、人生は価値がある
一生貧乏でも平穏な人生か
億万長者でも醜い争いだらけの人生
どっちがいいいですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11297825086)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
結果がわかった上で生きるのなら、はっきり言ってどっちでもいいと思いました。
億万長者だと決まっていても、貧乏だと決まっていても、答えが出た人生ほど、つまらない人生はないと思うからです。
どうなるかわからないから、今が貧乏であっても、お金持ちであっても、より良くしたいと思って、人は生きるのです。
いくら頑張っても、一生貧乏が確定していて、いくら平穏無事な人生だと言われても、その平穏は退屈でしかありません。
億万長者が確定していても同じです。
お金があれば何でもできる?かもしれませんが、楽しいのは最初だけです。
失敗しないことが決まっているチャレンジは、もはやチャレンジではありません。
いつでも、何度でも食べられる美味しい料理に価値はありません。
レストランガイドで有名なミシュランの三つ星の基準は、「そのために旅行する価値のある卓越した料理」です。
料理自体は、わざわざ旅をしてまで食べる価値があるほど美味しい料理だったとしても、いつでも何度でも旅行に行く時間もお金もあるなら、美味しさは半減するのではないかと思います。
お金持ちが美食を楽しめるのは、様々な競争に勝ち、そして得たもので、それは同時に失うかもしれないという恐怖も同時に持っているからです。
だから、今目の前の美味しい料理に価値を感じるのです。
もし、失わないことが確定しているなら、毎日出てくる家ごはんと同じくらいの価値しかありません。
そこには、安心はあっても驚きはありません。
いえ、確定しているとしたら、安心さえもないかもしれないのです。
安心というのは、日頃の忙しさの中にあるいっときの安らぎのことを言うのです。
もし、それしかないのなら、それは退屈になってしまいます。
億万長者も、やはり退屈です。
刑務所に一生入れられることが確定した懲役生活のようなものです。
○「わからない」の中にすべてが在る
なぜ、貧乏を恐れるのか?というと、天寿を全うできないかもしれないという恐怖を感じるからだと思います。
もちろん、そんなことを頭で考えるわけはなく、本能的にそう感じているということです。
もし、自分が何歳で死ぬかがわかっているとしたら、運命とか宿命みたいなものに、それほどこだわらないのではないかと思いました。
決められた時間の中で、何ができるか?それだけを考えるだろうと思います。
ですが、時間はわからないけど、「あなたは一生貧乏です」「あなたは一生億万長者です」と言われることを想像したら、夢も希望もなくなるだろうと思いました。
いわゆる身分制度の中で生きているようなものだからです。
幸いなことに現実は違います。
今の人生が不満足だとしたら、平穏無事か波乱万丈かはわかりませんが変えていくことができます。
わからないから不安になる。でも、わからないから頑張れる。
「わからない」の中にすべてが在るのです。
「未来がどうなるかわからない」「将来が不安である」。
これはチャンスがあるということなのです。
○結果がわからないからこそ、人生は価値がある
哲学者キルケゴールの言葉に「不安は自由のめまいである」という言葉があります。
自由というのは、何にも縛られない状態のことです。
しかし、それは縛られない代わりに周りに何もない状態でもあるのです。
困った時に支えになる人もモノもない。困り果て、手を差し伸ばした時に掴まるところがない状態です。
だから、不安は自由のめまいなのです。
ですが、自由を放棄しろというメッセージではないと思います。
不安を感じるということは、可能性があるということだと思います。
不安は悪ではないのです。
結果がわからないから不安になります。
でも、結果がわからないから頑張る価値も意味もあるのです。
結果がわかっているゲームほど、つまらないモノはありません。
不安こそ楽しさなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●貧乏vs億万長者|結果がわからないからこそ、人生は価値があるのまとめ
今日は「貧乏vs億万長者|結果がわからないからこそ、人生は価値がある」と題して、貧乏vs億万長者について考えました。
○貧乏vs億万長者
結果がわかった上で生きるのなら、はっきり言ってどっちでもいいと思いました。
億万長者だと決まっていても、貧乏だと決まっていても、答えが出た人生ほど、つまらない人生はないと思うからです。
どうなるかわからないから、今が貧乏であっても、お金持ちであっても、より良くしたいと思って、人は生きるのです。
○「わからない」の中にすべてが在る
わからないから不安になる。でも、わからないから頑張れる。
「わからない」の中にすべてが在るのです。
「未来がどうなるかわからない」「将来が不安である」。
これはチャンスがあるということなのです。
○結果がわからないからこそ、人生は価値がある
結果がわからないから不安になります。
でも、結果がわからないから頑張る価値も意味もあるのです。
結果がわかっているゲームほど、つまらないモノはありません。
不安こそ楽しさなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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