真の平和とは欲を捨てた時におとずれる|美しいことを願い、自然体で生きる

『真の平和』とは、欲を捨てた心です。争いの原因は欲望によるものです。
心の平和を得るために美しいことを願い、自然体でありたいと思うことが大切です。
今日は『真の平和とは欲を捨てた時におとずれる|美しいことを願い、自然体で生きる』と題して、真の平和について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
真の平和とは欲を捨てた時におとずれる|美しいことを願い、自然体で生きる
真の平和とは欲を捨てた時におとずれる
果たして、【真の平和】とは我々人類が【欲を捨てた時】なのか!?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10283392285)
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
平和とはどんな状態でしょう?
辞書によると平和の意味は『戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること』とあります。
争いがない平和な状態とは、人類一人ひとりが『欲を捨てた時』というのは当たっていると思います。
争いは『今のままでは幸せになれない』という気持ちから起こるものです。
つまり、今にない何かを欲する気持ちです。
『今のままでいい』『今のままでとても満足している』。
すべての人が、そういう気持ちでいたら争いは起こらないはずです。
それは、今のまま何も変えずに幸せであるということですから、『欲を捨てた時』だと言っていいでしょう。
何も手に入れなくても、心が温かくて満足している状態です。
綺麗事かもしれません。そんな状態はありえないのかもしれませんが、一人ひとりが今のままで何も手に入れずに幸せであろうとすること。
そんな『真の平和』がおとずれることを願うばかりです。
美しいことを願い、自然体で生きる
『汚いことを言えば汚い人になる。美しいことを願えば美しい人になる』。
3年B組金八先生の第5シリーズで金八先生が教えてくれた沖縄のことわざです。
『今のままで何も手に入れずに幸せである』または、そうあろうとすること。
これは綺麗事かもしれません。
ですが、美しいことを願えば美しい人になります。
また、願わなければ『真の平和』はおとずれません。
綺麗事大いに結構だと思うのです。
綺麗事では生きていけないと思っている人が、争いのたえない荒んだ世の中を作っているに違いないのです。
ありのままの自分で生きること
こうしようと
一筋に思う心こそ
人が誰しも
抱える病である。
この病を必ず治そうという
こだわりもまた病である。
自然体でいること
それが剣の道にかなう
本当にこの病を治す
ということなのである
柳生宗矩
(江戸時代初期の武将)
柳生宗矩と言えば、『柳生石舟斎』(柳生新陰流の創始者)の息子であり、時代劇のヒーロー柳生十兵衛のお父さん。
柳生宗矩の言葉は、心の平和を説いています。
幸せになるためにこうありたいと一筋に思うことも病です。
そう思わないようにしようとすることもまた病です。
今のまま、ありのままの自分で生きること。
それこそが『真の平和』であり、病いを治すことなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
真の平和とは欲を捨てた時におとずれる|美しいことを願い、自然体で生きるのまとめ
今日は『真の平和とは欲を捨てた時におとずれる|美しいことを願い、自然体で生きる』と題して、真の平和について考えました。
真の平和とは欲を捨てた時におとずれる
争いは『今のままでは幸せになれない』という気持ちから起こるものです。
つまり、今にない何かを欲する気持ちです。
『今のままでいい』『今のままでとても満足している』。
すべての人が、そういう気持ちでいたら争いは起こらないはずです。
美しいことを願い、自然体で生きる
汚いことを言えば汚い人になる。美しいことを願えば美しい人になる。
ありのままの自分で生きること
今のまま、ありのままの自分で生きること。
それこそが『真の平和』であり、病いを治すことなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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