おおらかな人はダメ人間ですか?|自然と共に生きる
世界には色々な人がいます。
自分もその色々な人のうちの一人です。
世界から受け入れて欲しいなら、自分も世界を受け入れないといけないということです。
今日は『おおらかな人はダメ人間ですか?|自然と共に生きる』と題して、おおらかな人はダメ人間ですか?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
おおらかな人はダメ人間ですか?|自然と共に生きる
おおらかな人はダメ人間ですか?
おおらかな人はダメ人間ですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12271352892)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
おおらかな人がダメというわけではないと思います。
ただ、自分が『マメな人』だとしたら、合わなかったり、イライラしたりすると思います。
逆もしかりで、自分が『おおらかな人』なら、マメな人にイライラさせて、嫌われたり鬱陶しがられたりするかもしれません。
つまり、相手の問題なのではなく、自分が相手とどう付き合っていくか?という自分の問題になると思います。
おおらかな人がダメで、マメな人が良いというのは、一方的な正しさにしかすぎません。
おおらかな人が多数派の世界にいれば、『何細かいこというてんねん!!』扱いを受けるし、マメな人たちが多い世界にいれば『遅い!!』とか、『雑!!』という扱いを受ける。
自分を変えることは簡単ではないし、他人を変えることはもっと簡単ではありませんので、そんな中で自分がどう生きていくか?
問題はそういう話になります。
一人ひとりみんな違う
『自分』は他人を理解出来ません。
『おおらかな人』と『マメな人』という2種類しか人間のタイプがないのなら、ある意味合わせることも合わせないことも簡単です。単純でわかりやすい。
ですが、実際は一人ひとりみんな違うわけです。
そういう世界で、自分がどう生きていくかを選択しないといけないのです。
そういうことを何も気にしないで生きていたら、他人のことは理解出来ないし、自分のことも理解してもらえないことに、『なんで?なんで?』の連続になると思います。
頭では一人ひとり違うと思っていても、心ではみんな自分と同じだと思っています。
本当に違うとわかっているのなら『なんで?』とは思いません。
違いがあっても『そうだよね。そうだよね』と思うでしょう。
『なんで?』と思うのは、『普通はこうするよね』と思っているからです。
その普通とは、『自分ならこうする』ですよね。
それと違うから苦しいわけです。
だとすると、どうしたらいいのでしょうか?
自然と共に生きる
たくさんの考えを持つ。たくさんの顔を持つ人になること?
そう考えると『自分』とは何者?となってしまいます。
喩え話でいうと、色々な道路を走る車みたいな自分になることかなと思います。
綺麗な舗装された道を走ることもあれば、ガタガタの道を走ることもあるし、雨や雪でスリップしやすいときもあります。
その都度、その道に合わせた走りをしますが、車はいつも同じ。
基本は運転で対応するけれど、必要なら仕様を変えることもあります。
それは自分が生きている環境に合わせて自分を変えるということです。
自分の生きている環境を研究して理解することで必要な自分のなることです。
雪国なら冬のためにスパイクタイヤを用意しているみたいなことです。
少し高尚な言い方をするなら、『自然と共に生きる』こと。
他人とは、もっとも身近にいる自然です。
自然に逆らうと痛み目に合います。だからといって、ただ流されるというのとは違います。
そう来るなら、こう受け取るみたいなやり取りが必要です。
そういう確かな自分になることが大事なことだと思います。
では、ごきげんよう。さようなら。
おおらかな人はダメ人間ですか?|自然と共に生きるのまとめ
今日は『おおらかな人はダメ人間ですか?|自然と共に生きる』と題して、おおらかな人はダメ人間ですか?について考えました。
おおらかな人はダメ人間ですか?
おおらかな人が多数派の世界にいれば、『何細かいこというてんねん!!』扱いを受けるし、マメな人たちが多い世界にいれば『遅い!!』とか、『雑!!』という扱いを受ける。
自分を変えることは簡単ではないし、他人を変えることはもっと簡単ではありませんので、そんな中で自分がどう生きていくか?
問題はそういう話になります。
一人ひとりみんな違う
頭では一人ひとり違うと思っていても、心ではみんな自分と同じだと思っています。
本当に違うとわかっているのなら『なんで?』とは思いません。
違いがあっても『そうだよね。そうだよね』と思うでしょう。
『なんで?』と思うのは、『普通はこうするよね』と思っているからです。
その普通とは、『自分ならこうする』ですよね。
自然と共に生きる
少し高尚な言い方をするなら、『自然と共に生きる』こと。
他人とは、もっとも身近にいる自然です。
自然に逆らうと痛み目に合います。だからといって、ただ流されるというのとは違います。
そう来るなら、こう受け取るみたいなやり取りが必要です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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