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善人になる|お詫びする生き方

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善人になるのは難しい。

ですから、悪人にならないようにする。

善行をしようと思うのではなく、悪行をしないようにする。

それだけでも十分に善人になれるのです。

今日は『善人になる|お詫びする生き方』と題して、善人になるについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

善人になる|お詫びする生き方

善人になる

善人にならなきゃいけないからなるものなんですよね?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14270899899

 

みなさん、ごきげんよう。

今日もよろしくお願いします。

 

人は基本善人でいたいものだと思います。

ですが、人は誰でも、嘘をついたり、手を抜いたり、ズルい生き方をしてしまうものです。

なので、努めて善人であろうとするのだと思います。

それが『ならなきゃいけない』という表現なのだとしたら、そうなのかもしれません。

善人であることを諦めた人が、反対の生き方をしてしまうことがあります。

それは、善人でありたいと思う心の裏返しだと思うのです。

仏教では、善行とは、苦しみの元にならない行いのことをいうそうです。

善い行いをして、たとえばボランティアなどをして、ひと言もお礼を言ってもらえなかったとしたら、苦しい気持ちになるかもしれません。

善人でありたいと思う心の裏返しの行為とは、こういう苦しみから起こってしまう行為なのかもしれません。

なので、行いは善いのに善行にならないこともあります。

だとすると、そういう期待をしないことが善行であり、善人だといえると思います。

正しい行為、善い行為をしても、他人から褒めてもらおうとか、それに見返りがあるなどの気持ちを最初から持たないことが善行なのです。

これは、善人になるのはかなりハードルが高いといえますね。

お詫びする生き方

少し前にも三上和志著『人間の底』という名著をご紹介しました。

本書には、他を動かす力として『身を捨てて、捧げて、尚捧げ方が足りないもののようにお詫びする』ことが、一番他を動かすとあります。

身を捨てて、捧げてとは、自分の力を尽くしてという意味です。

自分の力を尽くして、それでも尚『お詫び』するのか?と思われると思いますが、これが一番『他を動かす』のだというのです。

たとえば、職場で、まだ未熟な後輩が自分のこともままならないのに、先輩である自分の助けになろうとしている。しかも、自分の力が足りなくて、まだまだ役に立たずに申し訳ないという姿でいる。

こんな後輩をもった経験がある人も少なからずいると思います。

こういう後輩はとても健気で可愛く思いませんでしょうか?

なんとか、この後輩が一人前になるように、先輩として助けてやろうと思います。

『人間の底』で書かれている『お詫び』とはこういうお詫びです。

そして、そんな後輩の姿こそ、善行ではないか?と思ったのです。

一見、未熟で役に立たないようだけど、一生懸命にやって先輩の役に立とうとしている。

でも、それでもまだまだ足りないもののようにお詫びをしているのです。

何か善いことをして、見返りを期待しないというのは、実は難しいことです。

物品での見返りを期待するということはなくてもお礼のひと言はあるだろうと期待してしまうもの。

それでは善行にはならないとしたら、『お詫び』する気持ちでいればどうでしょうか?

悪人にならないように努める

最初の話に戻りますが、人は誰でも嘘ついたり、手を抜いたりしてしまうものです。

普通に生きていたら悪行をしてしまいます。

なので、善い行いをしようというのではなく、悪行をしないように生きるのです。

嘘をつかず、自分に正直に素直に生きる。

人が見ていても見ていなくても、手を抜かずに一生懸命にやる。

ズルい生き方をやめて、自分がして欲しいことは他人に率先してやる。

善い行いをしようとしなくても、悪い行いをしないようにしようと思うと、自然とそれが善い行いになります。

善い行いをしようと思うと難しいですが、悪い行いをしないようにしようと考える方が少し簡単な気持ちになります。

善人でいようと思ってもなかなか難しいので、悪人にならないように努める。

それだけで十分に善人であると思うのです。

いえいえ。それだけでも十分に難しいことに挑戦していると思っていいのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

善人になる|お詫びする生き方のまとめ

今日は『善人になる|お詫びする生き方』と題して、善人になるについて考えました。

善人になる|お詫びする生き方 
仏教では、善行とは、苦しみの元にならない行いのことをいうそうです。
善い行いをして、たとえばボランティアなどをして、ひと言もお礼を言ってもらえなかったとしたら、苦しい気持ちになるかもしれません。
善人でありたいと思う心の裏返しの行為とは、こういう苦しみから起こってしまう行為なのかもしれません。
なので、行いは善いのに善行にならないこともあります。

お詫びする生き方 
何か善いことをして、見返りを期待しないというのは、実は難しいことです。
物品での見返りを期待するということはなくてもお礼のひと言はあるだろうと期待してしまうもの。
それでは善行にはならないとしたら、『お詫び』する気持ちでいればどうでしょうか?

悪人にならないように努める  
善い行いをしようと思うと難しいですが、悪い行いをしないようにしようと考える方が少し簡単な気持ちになります。
善人でいようと思ってもなかなか難しいので、悪人にならないように努める。
それだけで十分に善人であると思うのです。
いえいえ。それだけでも十分に難しいことに挑戦していると思っていいのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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