素直に生きるのは難しい?|ありのままに見る
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素直に生きるのが簡単ではないのは?
相対的に物事を見る人間の性質上、見えない部分があることが原因です。
では、見えないものは無いのか?というと、そんなことはないわけです。
今日は『素直に生きるのは難しい?|ありのままに見る』と題して、素直に生きるのは難しい?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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そして、
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素直に生きるのは難しい?|ありのままに見る
素直に生きるのは難しい?
素直に生きるのが難しいのは何故ですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12270394197)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
シンプル・イズ・ベストな質問です。
素直に生きると傷つくと思っているからだと思います。
自分に素直に生きると自分の嫌な面が表に出て、周りから嫌われたり、人と争うことになる。
そうすると傷ついてしまうので、素直な自分を奥に隠してしまうのです。
というのは、実は表面的なこと。
真実はもう少し深いと思っています。
なぜなら、素直に生きるというのは好き勝手に生きるということではないからです。
好き勝手に生きることが『素直』なのだとしたら、周りから嫌われたり、人と争うことで傷つくのが怖いという発想になるかもしれません。
本当の『素直』とは、人や物事を見たときに『ありのままに見る』心のことです。
どんな人でも良い面、悪い面があります。
『私』にも他人にもです。
その両面をありのままに見る心が素直な心です。
素直になるのが簡単ではないのは、『私』の悪い面をありのままに見ることが簡単ではないからです。
そして、その裏返しで他人の良い面をを素直にありのままに見ることが簡単ではないのです。
もう少し詳しく言うと、人は相対的に物事を見て判断します。
自分の良い面を見ようとするとき、他人と比較して自分の良い面を探します。
そんなつもりはなくても自動的に他人の悪い面を見ることになってしまうというわけです。
逆も同じです。
自分の悪い面を見ているときは、同時に他人の良い面を見ています。
なので、ありのままに見ることが難しくなるのです。
つまり、素直になることが難しいというわけです。
人の目を気にしたり、他人と比較して劣等感を感じたりするのもそういう仕組みでジャッジをしているからです。
ジャッジをしないということを言われますが、そもそもがジャッジをしないということ自体が生きるシステム上出来ないのです。
でっ!どうするか?が大事になります。
人は相対的に物事をジャッジする
ジャッジをしないということが出来るのなら、それが一番いいですが。そんなことはそもそも無理なんです。
そんなことが出来たら、『私』と他人の区別がつかなくなります。
くどいようですが、それが出来るなら、それが一番いいんです。
ですが、それが出来たとき、『私』は消えて世界も消えます。
いわゆる『ひとつ』になるということです。
出来もしないことをお題目にするほど綺麗事はないと思います。
なので、まずは仕組みを理解することです。
人は相対的に物事をジャッジしているということ。
なので区別もするし、優劣もつけます。
その上でどう生きるか?を考えるということです。
たとえば、AとBを比較するとき。
Aの良い面を見るているときは、Bの悪い面を見ています。
Bの良い面を見ているときは、Aの悪い面を見ています。
ですが、どんなモノにも良い面も悪い面もあります。
つまり、Aには良い面と悪い面があり、Bにも良い面と悪い面があるわけです。
ですが、いつでも見えているのは、良い面と悪い面の組み合わせだけです。
ですから劣等感を感じたり、ときに優越感を感じたりするのです。
これが相対的にしか物事をジャッジ出来ないという人間の仕組みです。
ということは、裏を返せば、常に『私』には見えていないものがあるということです。
ありのままに見る
見えているモノがあるということは、見えていないモノもあるということです。
『ありのままに見る』というと、すべてが見えていることだと誤解をされるかもしれませんが、そうではないと思います。
というより、それは仕組み上無理なんです。
『私』には見えていないモノがあるということを常に意識することが、ありのままに見るということです。
これもたとえ話ですが、物質と空間の割合は1対9だと言われています。
数字の真偽はさておき、我々に見えているものは世界の一部ということです。
では9割は何もないのか?というと、空間があるわけです。
空間は何も無いことではありません。
無いことが在るところです。
よく見ると、そこには空気などがあります。
空気といっても酸素とか窒素のことだけではなく、『雰囲気』『ムード』という空気です。
あと、記憶が空間にあると言った物理学者もいます。
見えていないから無いという思い込みを捨てて、見えていないところに意識を向けると見えてくるモノがあると思います。
そして、それでも見えていないモノがあるということを意識することが『ありのままに見る』こと。
素直に生きることだと思います。
では、ごきげんよう。さようなら。
素直に生きるのは難しい?|ありのままに見るのまとめ
今日は『素直に生きるのは難しい?|ありのままに見る』と題して、素直に生きるのは難しい?について考えました。
素直に生きるのは難しい?
素直に生きるというのは好き勝手に生きるということではありません。
好き勝手に生きることが『素直』なのだとしたら、周りから嫌われたり、人と争うことで傷つくのが怖いという発想になるかもしれません。
本当の『素直』とは、人や物事を見たときに『ありのままに見る』心のことです。
人は相対的に物事をジャッジする
ジャッジをしないということが出来るのなら、それが一番いいですが。そんなことはそもそも無理なんです。
そんなことが出来たら、『私』と他人の区別がつかなくなります。
くどいようですが、それが出来るなら、それが一番いいんです。
ですが、それが出来たとき、『私』は消えて世界も消えます。
いわゆる『ひとつ』になるということです。
ありのままに見る
見えているモノがあるということは、見えていないモノもあるということです。
『ありのままに見る』というと、すべてが見えていることだと誤解をされるかもしれませんが、そうではないと思います。
というより、それは仕組み上無理なんです。
『私』には見えていないモノがあるということを常に意識することが、ありのままに見るということです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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