素直に生きるには意思の力が必要

素直な心で生きるというのは、表面的な欲求に素直に生きるということではありません。
心の奥底にある美しい本音に従う生き方です。
それには意思の力が必要なのです。
今日は『素直に生きるには意思の力が必要』と題して、素直に生きるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
素直に生きるには意思の力が必要
素直に生きろは犯罪者を増やす?
☆自分に素直に生きろ。
自分に正直に生きろ。
それだと、犯罪者になる人が多くなりませんか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12264625617)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
人間の素直で正直な欲求は『犯罪を犯したい』ではないと思います。
人間には欲求があります。
その中でもっとも強く、そしてすべての欲求を包括するのではないかと思うのが『承認欲求』です。
他人から『重要人物だと認めてもらいたい』という欲求です。
それが叶わなかったとき、人間は犯罪を犯してしまうのではないか?
あるいは、罪を犯すことで承認してくれる人がいた場合、罪を犯すのではないか?
そう思います。
※反社会的勢力などに属していると、そういうケースもあると思います。
最初から、心の底から犯罪を犯したいと思っている人がいるとは思えません。
人間には道徳心というものがあります。
善悪を判断し善い行いをしようとする心です。
これも承認されたいという欲求が根源にあります。
たとえば、親孝行をするとか、目上の人を敬うとか、人のモノを盗らない、信号無視はしないなど。
誰も何も言わなくても『こうした方がいい』というものがあります。
誰から教えてもらったかも憶えていないくらい、小さい頃から教えこまれ、刷り込まれるものです。
誰の心の奥底にもそういったモノがあって、それに従うのが素直な心です。
ですから、素直に生きろという言葉を正しく伝えれば、それが犯罪者を増やすことにはならないと思います。
スマートでカッコよく素直に生きる
誰もが素直な心で生きられるわけではありません。
環境や境遇が、それを許さない場合もあります。
弱い心に負けてしまうということもあるでしょう。
ですが、そのほとんどが自分の素直な心をわかっていないという気がします。
質問にあるように、素直な心で生きると犯罪を犯すと思っている人がいるように、自分の素直な心はワガママであったり、自分勝手な欲求にまみれていると思っているのではないでしょうか?
それは実に表面的な心です。
人間には欲求があります。
仏教では、人間は我利我利亡者(がりがりもうじゃ)だといいます。
ですが、それは本来、人を傷つけたり、陥れることで利益を得たいという欲求ではなくて、出来ればスマートにカッコよく、正当で誰からも認められることで得られる利益を欲しているということです。
『自分に素直に正直に生きる』のであれば、スマートでカッコよく、正当で誰からも認められたいという気持ちに素直になるといいと思います。
そのためには、親孝行をすることも大切ですし、目上の人を敬うことも大切です。人のモノを盗ってはいけませんし、信号無視もいけません。
『こうした方がいい』に素直に正直に生きることです。
意思の力で素直に生きる
困ったことに、多くの人は表面的な欲求が自分の素直な心だと思っています。
その奥底には、美しい心があるのにです。
繰り返しになりますが、自分を重要人物だと認めて欲しいという『承認欲求』は誰の心にもあります。
しかし、その欲求は立派の人間であるということ。この世界になくてはならない『価値のある人間』だと認めて欲しいという欲求です。
価値のある人間と認めて欲しいのなら、価値のある生き方をしないといけません。
それが叶わないからといって、表面的な欲求で手を打ってはいけないのです。
勝間和代さんのYou Tubeでハッとさせられたモノがあります。
人間は基本肥るように出来ているということです。
お金も好きなように使っていると貯まりません。
意思の力で、標準体重を保ったり、無駄遣いをやめたり、マメに収入源を増やしてお金を貯めていかないといけないというお話です。
つまり、肥満もお金が貯まらないのも、ある意味自然に生きていれば当たり前ということです。
それと同じで、素直な心で生きるということも意思の力が必要なんです。
本当はこうしたいという思いが奥底にあっても、自然に流されて生きていると自分勝手でワガママな生き方になってしまいます。
表面的な欲求に流されて生きるのではなく、自ら素直な心を感じ取って意思の力で素直な心を実践するということが必要です。
ですから、今自分が理解している自分の思いが本当に素直なのか?
その奥にもっと素直な心はないか?
自分に問い続けることが必要なのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
素直に生きるには意思の力が必要のまとめ
今日は『素直に生きるには意思の力が必要』と題して、素直に生きるについて考えました。
素直に生きろは犯罪者を増やす?
誰も何も言わなくても『こうした方がいい』というものがあります。
誰から教えてもらったかも憶えていないくらい、小さい頃から教えこまれ、刷り込まれるものです。
誰の心の奥底にもそういったモノがあって、それに従うのが素直な心です。
ですから、素直に生きろという言葉を正しく伝えれば、それが犯罪者を増やすことにはならないと思います。
スマートでカッコよく素直に生きる
人間には欲求があります。
仏教では、人間は我利我利亡者(がりがりもうじゃ)だといいます。
ですが、それは本来、人を傷つけたり、陥れることで利益を得たいという欲求ではなくて、出来ればスマートにカッコよく、正当で誰からも認められることで得られる利益を欲しているということです。
意思の力で素直に生きる
素直な心で生きるということも意思の力が必要なんです。
本当はこうしたいという思いが奥底にあっても、自然に流されて生きていると自分勝手でワガママな生き方になってしまいます。
表面的な欲求に流されて生きるのではなく、自ら素直な心を感じ取って意思の力で素直な心を実践するということが必要です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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