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努力に応じた結果が在る|今在るモノをしっかり見る

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努力しないと幸せになれないのではありません。

努力応じた結果があって、それに満足できると幸せになるのです。

結果の大小は幸せとは関係ないのです。

今日は『努力に応じた結果が在る|今在るモノをしっかり見る』と題して、努力に応じた結果が在るについて考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

努力に応じた結果が在る|今在るモノをしっかり見る

努力出来ない人は幸せになれない?

みなさん、ごきげんよう。

今日もよろしくお願いします。

努力できない奴が願う幸せってやはり高望みなのでしょうか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11264572371

『努力出来ない人は幸せになれない?』という意味の質問に受け取れますが、これは二元論的な発想です。

『努力しない=幸せになれない』という方程式があり、それ以外なないという発想ですね。

有るものと無いもの。二元の世界です。

現実はそうではないと思います。

努力の程度に応じた結果があるというのが現実ではないですか?

それは『努力をしないと不幸せになる』ということではないと思います。

小さい努力をすれば小さい結果が出るし、大きな努力をすれば大きな結果が出ます。

小さい結果でもそれに満足できれば幸せになれるし、大きな結果を得ても不満であれば不幸せです。

人は今在るものに満足すれば幸せになれます。

無いモノを欲しがれば不幸せになります。

このすべての要素を包括しているのが『この世界』です。

すべて在るという発想です。

これを一元とか非二元と呼んでいるのではないか?と思っています。

今在るモノをしっかり見る

『願った通りにはならないが思った通りになる』というのが我が家の家訓です。

願うということは、今は無いということです。

今は無いのですから『願った通りにはならない』のです。

ですが、思うということは今すでに在るということです。

だから『思った通りになる』なのです。

思うということは言葉を換えれば信じているということです。

細かいことを言いますが、『信じる』ではありません。

信じるは、信じようとすることであり、まだ信じていないのです。

思うとは、すでに信じていることです。

※言葉は心を表しています。この微妙な心の違いを丁寧に伝えたいと思います。

この世界は『私』が信じている世界なのです。

今日のテーマにどう関連するか?というと。

今在るモノに満足するというと抵抗がある人があると思います。

それは先ほどの『信じる』がまだ信じていないというのと同じで、『満足する』という言葉はまだ満足していない状態から満足しようとすることなのです。

まだ満足していないのに満足しないといけないのか?と押し付けられた感じがするから抵抗があるのだろうと思います。

なので、ここでも言葉を変えたいと思うのです。

『今在るモノをしっかり見る』です。

満足する必要はありません。

ただ、見て確認するだけです。

何度見ても、目をこすっても在るモノしかありません。

ただ、それを確認するのです。

それがこの世界に在るモノをありのままに見ること。包括することになるのです。

努力に応じた結果が在る

仏教に『諦観(たいかん)』という言葉があります。

諦観とは、『本質を明らかに見て取ること』という意味ですが。諦めるという字も入っています。

諦めるというのは、断念するというような意味もあります。

在るモノしかないと受け入れることは、ある意味では断念といえるかもしれません。

しかし、心境としてはもっと深みがあると考えています。

在るモノしかないというのは、それがすべてということです。

何とも比較することが出来ないのです。

たとえば、ありえないことですが、この世界に『私』しかいないとしてください。

『私』しかいませんから、他人を羨んだり、憧れたりすることもありません。

不満もありませんから、変わろうとも思いません。

今のままでいいとすら思わないのです。

諦観とはそんな心境です。

でも現実では他人がいて、比較してしまいます。

他人にはあって、自分にはないものを見ては不満を感じます。

それが不幸せを感じさせるのです。

そこで『今在るモノをしっかり見る』です。

他人のモノを見ても仕方ありません。

自分に在るモノを見るのです。

何度見ても、目をこすっても在るモノしかありません。

やったこともやらなかったこともすべてが自分に返ってくるだけです。

それが真理です。

努力に応じた結果が在るだけなのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

バタフライ効果|祈りこめて『今を生きる』のまとめ

今日は『努力に応じた結果が在る|今在るモノをしっかり見る』と題して、努力に応じた結果が在るにについて考えました。

努力出来ない人は幸せになれない? 
『努力出来ない人は幸せになれない?』という意味の質問に受け取れますが、これは二元論的な発想です。
『努力しない=幸せになれない』という方程式があり、それ以外なないという発想ですね。
有るものと無いもの。二元の世界です。
現実はそうではないと思います。
努力の程度に応じた結果があるというのが現実ではないですか?

今在るモノをしっかり見る 
今在るモノに満足するというと抵抗がある人があると思います。
それは先ほどの『信じる』がまだ信じていないというのと同じで、『満足する』という言葉はまだ満足していない状態から満足しようとすることなのです。
まだ満足していないのに満足しないといけないのか?と押し付けられた感じがするから抵抗があるのだろうと思います。なので、ここでも言葉を変えたいと思うのです。
『今在るモノをしっかり見る』です。

努力に応じた結果が在る
仏教に『諦観(たいかん)』という言葉があります。
諦観とは、『本質を明らかに見て取ること』という意味ですが。諦めるという字も入っています。
諦めるというのは、断念するというような意味もあります。
在るモノしかないと受け入れることは、ある意味では断念といえるかもしれません。
しかし、心境としてはもっと深みがあると考えています。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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