『私』を責めないための考え方
物事がうまくいかないと自分のことを責めてしまいます。
ですが、物事には『私』にコントロール可能なことと、コントロール不可能なことがあります。
可能なことで自分を責めるのはわかりますが、自分にどうしようもないことで自分を責めても仕方ありません。
今日は『『私』を責めないための考え方』と題して、『私』を責めないための考え方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
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ありがとうございます。
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くろちゃんは、
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毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『私』を責めないための考え方
『私』が起こしていることと、『私』が起こしていないことを区別する
『私』が起こしていることと、『私』が起こしていないことを区別するという話です。
たとえば、『のどが渇いて水を飲む』という行為があります。
のどが渇くというのは、『私』が起こしていることではないですね。
のどが渇いたのを感じているのは『私』ですが、のどの渇きは身体に勝手に起こっていることです。
それを感じて『私』は水を飲もうとして、水の入ったコップを口に運びますが、そこからも『私』が水を飲んでいるわけではなくて、身体が勝手に飲んでいます。
『私』の意思でのどを動かしたり、食道を動かしたり出来るわけではありません。
コップを口に運んで、口を動かすまでは『私』にコントロール可能なことですが、それ以降は『私』にはコントロール不可能です。
こう考えると『私』がしていること、というのは、実に少なそうではないですか?
怒りでも悲しみでも喜びでも感情を起こしているのは自分ではありません。
勝手に湧き上がってくるものです。
怒りをコントロール出来ないと人間として未熟だと考えられていますが、それは感情と行動を一緒くたにしているからで、湧き上がる感情をコントロールできる人は実際はいないと思います。
誰でも怒るし、悲しむし、喜びます。
その感情を受けて何かしらの行動を起こしているのは自分だけども、感情自体は勝手に起こっていることです。
その感情を受けて、どう行動するかは自分次第なのです。
怒ったり、悲しんだり、負の感情とされるものが起こると自分の未熟さを責めてしまうことがあります。
ですが、肝心なのは感情が起こった後に、どんな行動を起こすか?どんな考え方をするか?が重要なのではないでしょうか?
そこを区別していなければ、『私』に出来ることを見誤ってしまうと思うのです。
だとすると、普段からどんな生き方をするか?どんな考え方をするか?がとても大切になってくるのです。
腹が立ったり、不満を感じたり、悲しくなったり、生きていく上でマイナスに働く感情が起こります。
これらはコントロール不可能です。
起こってくるものは起こってきます。
起こらないようにしようと思っていても、起こってくるときは起こってくるもの。
肝心なのは、起こったときにどうするか?です。
だから決めておくことが必要だと思っています。
よく、たとえ話にさせてもらっている『空腹感は幸福感』がそのひとつです。
お腹が空いたときのグゥ〜という音がなると、辛くてみじめな気持ちになります。
ですが、空腹時に鳴るお腹のグゥ〜という音は腸を掃除している音です。
あの音は、空腹時収縮と呼ばれるもので、次の食事に備えて腸内を掃除し、腸内細菌の過剰増殖を防ぐ重要な収縮だと考えられています。逆に音がしないと腸閉塞など重大な病気が隠れている可能性があるので注意が必要なくらいです。
空腹は、苦しいと思うと、苦しくなります。
だから、『空腹感は幸福感』だと決めておくのです。
『世界』が『私』に教えてくれている
だいたいのことに当てはまることですが、思い通りにいかなかったときは、このやり方ではうまくいかないと教えてくれているんだと決めておくのです。
誰が教えてくれているのかといえば、それは神様とか天とか宇宙とか、自分が信じているものなら、なんでもいいと思います。
僕は『世界』がそう教えてくれていると考えています。
なぜ、『世界』かというと、『私』が生きているこの世界は、『私と世界』で成り立っているからです。
何を以て『私』とするか?
それは人それぞれになんとなくあると思います。
肉体を『私』と思っている人。
肉体と心で『私』と思っている人。
『私』は私だと。当たり前すぎて考えたこともない人。
『私』の定義は横に置いておいて、とにかく『私』というものがあって、『私以外』があります。
『私以外』というのは違う言葉でいうと『世界』なのです。
『私』がコントロール可能なことと、『私』にはコントロール不可能のことがあります。
『私』にはコントロール不可能なことは『世界』が『私』に無関係に勝手に起こしていることです。
それを『世界』が『私』に教えてくれていると考えているわけです。
『私』を責めないための考え方
感情や、『私』の肉体であってもコントロール不可能なことは、すべて『世界』が起こしていることなのです。
ですから、物事がうまくいかないときは、同じことを繰り返してもうまくいかないと『世界』が教えてくれていると考えているわけです。
世界が起こしていることは『私』にはコントロール不可能なことです。
ですから、『私』を責めても仕方がないのです。
起こったことに対して、どう行動するか?
これは『私』にコントロール可能なことです。
それは自分次第ですから、どんな生き方をするか?予め決めておけばいいと思っています。
もちろん、それに対してもまた感情が起こります。
その感情もやはり『私』にはコントロール不可能なこと。
負の感情が起こったら、どうするか?これも決めておくのです。
『私』にコントロール不可能なことで『私』を責めても仕方ないのです。
『私』を責めないための考え方のまとめ
今日は『『私』を責めないための考え方』と題して、『私』を責めないための考え方について考えました。
『私』が起こしていることと、『私』が起こしていないことを区別する
怒ったり、悲しんだり、負の感情とされるものが起こると自分の未熟さを責めてしまうことがあります。
ですが、肝心なのは感情が起こった後に、どんな行動を起こすか?どんな考え方をするか?が重要なのではないでしょうか?
そこを区別していなければ、『私』に出来ることを見誤ってしまうと思うのです。
『世界』が『私』に教えてくれている
『私』がコントロール可能なことと、『私』にはコントロール不可能のことがあります。
『私』にはコントロール不可能なことは『世界』が『私』に無関係に勝手に起こしていることです。
それを『世界』が『私』に教えてくれていると考えているわけです。
『私』を責めないための考え方
起こったことに対して、どう行動するか?
これは『私』にコントロール可能なことです。
それは自分次第ですから、どんな生き方をするか?予め決めておけばいいと思っています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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