言葉では伝わらない|言葉が指し示すもの

言葉と言葉が指し示すものは違います。
どちらが本物か?といえば指し示しているものに間違いはありません。
こう言った。ああ言ったという主張は、そもそもおかしいのです。
言った人が何を言いたいのかがそもそも大切であって、自分がどう聞いたかは自分の責任だからです。
今日は『言葉では伝わらない|言葉が指し示すもの』と題して、言葉が指し示すものについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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そして、
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くろちゃんです。
言葉では伝わらない|言葉が指し示すもの
言葉と言葉が指し示すもの
とても大切だと思っていることがあります。
これは、何かを伝えるときもそうだし、何かを伝えてもらうときにも大切なことです。
それは言葉と言葉が指し示すものは違うということです。
よく紹介している一燈園の相大二郎さんの言葉。
『知識と技術は教えられるけど心のことは教えられない』という言葉の本質もそこにあると思っています。
知識と技術でしか他人に何かを伝えることは出来ません。
それは言葉で何かを伝えようとしているようなものです。
伝えたいのは心です。伝える者は、知識と技術を通して心をわかって欲しいと思っていますよね。
やり方さえ身につけば一応型は整います。
ですが、それでは型が崩れたらどうしていいかわからなくなります。
何を一番伝えたいか?伝えてもらわないといけないか?といえば、それは智慧なんですね。
智慧というのは、仏教用語で物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力のことをいいます。
平時はやり方さえ身についていれば何も問題はありません。
肝心なのは、トラブルやイレギュラーがあったときにどう対応するか?それが智慧です。
たとえ未経験のトラブルが起こったとしても自らの知恵と経験から解決する方法を導き出す。そんな能力が智慧です。
伝える人は、それを伝えないといけないし、伝えてもらう人は、それを受け取らないといけません。
そのために言葉ではなく、言葉が指し示すものを読み解く力がいるのです。
言葉が何を指し示しているのか?を見抜く
この世界で起こることの大半は目に見えないところで始まり、目に見えないところで終わっています。
目に見えることだけに囚われていると、本質を見誤ってしまいます。
言葉だけを聞いていると、本質は見抜けないということです。
その言葉が何を指し示しているのか?
そこを見抜くことが大切なのです。
何が言いたいのか?何をわかって欲しいと思っているのか?
言葉を通して言葉の奥にある意図を汲み取ることが必要です。
ただ、注意しないといけないのは、目に見えないことを見るということは間違うことも多いということです。
だからと言って臆病になってはいけません。
なぜなら、臆病になると慎重になってしまい、その慎重さが余計に間違いを誘発する可能性があるからです。
過度に自信を持つ必要もありませんが、過度に慎重になりすぎずに、ありのままに物事を洞察することが大事です。
これも心の部分ですね。
間違ったときは、『過ちては改むるに憚ることなかれ』(論語)です。
過ちては改むるに憚ることなかれ
※間違いを犯したと認識したら、(自らの過ちを認めることを気にせず)躊躇せずに改めるべきであるということ。
偏った心で言葉を聞かない
ゴールがいつも同じになってしまいますが、『素直であること』です。
偏った心で言葉を聞かない。物事を見ないということです。
そうは言っても人間ですから間違います。間違ったら素直に自らの過ちを認めること。そして躊躇せず改めること。
どんなときも『素直であること』に一番自分の心を傾けます。
いつも、今自分は素直であったか?と問いかけ、素直でなかったとしたら改めること憚ることなかれを実践する。
その実践が素直さを磨きます。
複利で素直さが磨かれていきます。
素直であれば素直であるだけ智慧が身についてくのです。
言葉では伝わらない|言葉が指し示すもののまとめ
今日は『言葉では伝わらない|言葉が指し示すもの』と題して、言葉が指し示すものについて考えました。
言葉と言葉が指し示すもの
何を一番伝えたいか?伝えてもらわないといけないか?といえば、それは智慧なんですね。
智慧というのは、仏教用語で物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力のことをいいます。
平時はやり方さえ身についていれば何も問題はありません。
肝心なのは、トラブルやイレギュラーがあったときにどう対応するか?それが智慧です。
言葉が何を指し示しているのか?を見抜く
この世界で起こることの大半は目に見えないところで始まり、目に見えないところで終わっています。
目に見えることだけに囚われていると、本質を見誤ってしまいます。
言葉だけを聞いていると、本質は見抜けないということです。
その言葉が何を指し示しているのか?
そこを見抜くことが大切なのです。
偏った心で言葉を聞かない
偏った心で言葉を聞かない。物事を見ないということです。
そうは言っても人間ですから間違います。間違ったら素直に自らの過ちを認めること。そして躊躇せず改めること。
どんなときも『素直であること』に一番自分の心を傾けます。
いつも、今自分は素直であったか?と問いかけ、素直でなかったとしたら改めること憚ることなかれを実践する。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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