言葉は道具|言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではない
目に見えるものは、目に見えない心を表すための道具だと考えることが出来ます。
道具というのは、これがあったら便利だなという目に見えない心の表れです。
それは言葉も同じ。言葉は思いを伝えるための道具です。
ただし、道具が100%こうあればいいなを実現しないように、言葉も心を100%言い表せているわけではありません。
今日は『言葉は道具|言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではない』と題して、言葉は道具について考えます。
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言葉は道具|言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではない
冷蔵庫の目的はジャスト使い切りじゃなくって“家族の幸せ”
1月期クールのドラマ吉田鋼太郎主演の『おいハンサム!!』は、一見ちょっと面白くてハンサム(わかった顔して何を偉そうにという意味)なことを言うお父さんと家族のホームコメディですが、ハンサムオヤジ(吉田鋼太郎)のハンサムな人生論がなかなか面白い作品です。
第3話では、果たして人間は自分の力を使い切って人生を終えることができるのか?にハンサムオヤジが向き合います。
人でもモノでもジャスト使い切って次にいくことなんてできるんだろうか?
そこで妻の千鶴は、“ジャスト使い切り”を目指していた頃を熱く語ります。
「私も冷蔵庫地図に囚われてた…使い切ることを目的に生きるって疲れる!」。
源太郎(ハンサムオヤジ)は、千鶴の壮絶な話を興味深げに聞きます。
使い切るってそんなに大事なことなのかしら?必ず忘れたり、済残したり、落っことしたりするのよ。それが人間よ。それにね、使い切ることを目的に生きるって疲れるわよ〜。私も冷蔵庫地図に囚われてたわ。
たとえば、1日目の夜。牡蠣がある、それと椎茸も残ってた、そうだ今夜は寒いし鍋だ。この間、鍋したとき、娘たちが鍋をひっくり返しかけたな。火傷しないように気をつけなきゃ。油揚げと豚バラは半分使って残しとこ。
次の日の朝。寝坊した。昨日の残りの油揚げをお味噌汁に、高かったほうれん草も少しだけお味噌汁の具にしよ。更に、ここで最後の鮭を使い切って、薬味は大根おろし。もう一品は目玉焼き、ギリセーフ。目玉焼きは家族それぞれこだわりがあって大変だ〜。
2日目の夜。鍋の残りの豚バラをどうする?賞味期限が迫ってる。でも新鮮な鯵が安かったから買っちゃった。ううう時間がない。大根と人参、じゃがいもがあるから肉じゃが?いや違う豚汁だ、アジフライだ、キャベツは千切りだ〜。
3日目の朝。最後の卵と食パンでフレンチトースト。残った野菜でポトフ。テレビの料理番組で丁度やってたのよ。おしゃれじゃない!朝ごはんはOK!
ほうれん草とトマト、このままじゃ無駄になる。サラダにするか?芸がないか?そうだ残ってるブルーチーズを使って自家製ドレッシングだったら文句ないでしょう!やりました!!ってジャスト使い切りってなるのよ。
千鶴は思い通りにいかない本末転倒なミスを犯したりして、地図に縛られる必要も余裕もないと悟ったのだといいます。
『今日気持ちよく使い切っても、またすぐに忙しい明日はやってくる。冷蔵庫は王様じゃなく道具!冷蔵庫の目的はジャスト使い切りじゃなくって“家族の幸せ”なのよ!!』。
本来の目的を忘れて、ルールやマニュアルやこうあるべきに囚われると本末転倒だというのが身にしみる話です。
言葉は道具
冷蔵庫は王様じゃなく道具!冷蔵庫の目的はジャスト使い切りじゃなくて“家族の幸せ”。
冷蔵庫もルールも人間を幸せにするための道具であって、それ自体が人間を幸せにしてくれるわけではありません。
道具を使うつもりが、いつの間にか道具に使われていた、みたいな話です。
人間は表面的なことに囚われます。
これは『聞く』を学んで気づいた一番大きなことです。
『聞く』について言えば、それは言葉です。
人は『こう言った』に囚われます。
揚げ足を取ると言いますが、これはある程度意識してやることです。
そうではなく、『この人は、こう言ったから、こういう考えの持ち主だ』と決めつけたり、思い込んだり、これは相当深い無意識化で行われる囚われです。
言葉は、自分の思いを表現するための道具です。
言葉が思いそのものじゃありません。
なのに、『こう言ったから、こういう考えだ』というのはあまりに解釈が狭いのです。
こう言っているけども本当の思いは?
言葉よりも言いたいことや思いの方が広くて大きいのです。
ですが、たいていの人は、言葉をどんどん限定的に解釈して思いを確定しようとします。
他人のクセにです。(笑)
本人でさえ、自分の思いを正確には掴み取れていないのです。
しかも、それを言葉に表すとなるとすべてを表すのは、ほぼ不可能です。
それなのに他人が相手の言葉を人質にすべての思いをわかったように決めつけるなど笑止千万です。
言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではない
ただ、こうも言えます。
本人でさえ自分の思いを正確に掴み取れていません。その思いを知るためには他人の意見を聞く必要があります。
冷蔵庫の話からは逸れるようですが、冷蔵庫の話から伝えたいことは、目に見えない本質は何か?ということです。
そして本質を見抜くためには、やはり冷蔵庫を使わないといけません。
ただ、道具として冷蔵庫を使っていることを忘れてはいけないし、冷蔵庫を使うことで幸せにならないといけなません。
ましてや、ジャスト使い切りで苦しんではいけないのです。
冷蔵庫を使って幸せにならないといけません。
言葉も同じで、表面的なことに囚われてはいけませんが、その表面的なことは、目に見えない深層部分の一部であることは間違いないのです。
つまり、言葉がすべてではないですが、言葉を通して、言葉にならない思いを汲み取ろうとすることは、とても大切なことなのです。
言葉がすべてではないですが、言葉を軽んじてはいけないのです。
他人のクセにと書きましたが、その他人の意見は、『私』のすべてがわかっているわけではありませんが、少なくてもその人にはそう見えていて、『私』の一部を表していると考えることが出来ます。
だとすると『他人のクセに』の意見も聞く価値があるのです。
言葉は道具|言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではないのまとめ
今日は『言葉は道具|言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではない』と題して、言葉は道具について考えました。
冷蔵庫の目的はジャスト使い切りじゃなくって“家族の幸せ”
『今日気持ちよく使い切っても、またすぐに忙しい明日やってくる。冷蔵庫は王様じゃなく道具!冷蔵庫の目的はジャスト使い切りじゃなくって“家族の幸せ”なのよ!!』。
言葉は道具
冷蔵庫は王様じゃなく道具!冷蔵庫の目的はジャスト使い切りじゃなくて“家族の幸せ”。
冷蔵庫もルールも人間を幸せにするための道具であって、それ自体が人間を幸せにしてくれるわけではありません。
道具を使うつもりが、いつの間にか道具に使われていた、みたいな話です。
言葉を軽んじてはいけないが言葉がすべてではない
言葉がすべてではないですが、言葉を通して、言葉にならない思いを汲み取ろうとすることは、とても大切なことなのです。
言葉がすべてではないですが、言葉を軽んじてはいけないのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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