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深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ

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今日は、深刻になってほしくないというメッセージ込めて書きます。

今ここに『私』を縛るものは本来ありません。

もし、あるとしたら、それは『私』自身です。

『私』から自由になってほしいのです。

今日は『深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ』と題して、深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれについて考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ

深刻になってほしくない

深刻になってほしくない。

今日は、そんなメッセージを込めて書きたいと思います。

なぜ深刻になるのか?

人間はひとりでは生きていないので、他人とうまく付き合えないと色々と不都合があります。

他人とうまく付き合えないことがどんどん進んでいくと、いつの間にかひとりになってしまい、誰の助けも受けられなくなり、命に関わります。

ですから、人から嫌われたくありません。出来ることならば、すべての人から好かれたい。そう思うものだと思います。

さらに言うなら、ひとりひとり社会における立場というものがあり、年上ならば、年下に慕われたいと思うし、これが上司部下でも同じことですね。

逆に年下ならば年上の人に可愛がられたいとか、上司に信頼される部下になりたいと思うでしょう。

家族でも同じですね。

父親は一家の大黒柱でありたいと思い、家族から尊敬されたいと思う。

母親は優しく、一家を実は裏で支えている存在で、子どもは親から愛されている。

(あくまで一例です)

たとえば、そういう理想のようなものがそれぞれにあります。

そういう複雑な人間同士の関係性の中で、自分の立場は『こうあるべき』だというものを自ら作り、それに当てはまっていれば安心するし、外れていれば自分を社会不適合者だと思う。

概ね、誰もがそのようなストーリーの中で、今の自分がうまくいっているか否かに点数のようなものをつけているのではないでしょうか?

そして、それは今この瞬間の幸福度に大きく関係しています。

ですが、これはストーリーです。

昨日もストーリーという言葉を使いましたが、自分が頭の中で描いている思考です。

ぜひ、気づいて欲しいと思うのは、自分の立場は『こうあるべき』だというのもストーリーですし、それから外れていると社会に適合出来ていないと思うのもストーリーです。

いつも繰り返し書いていますが、自分が信じていることがすべてではありません。

このストーリーがすべてではないのです。

たとえば、僕はこう思っています。

人の上に立つ人間は、すべての人間から慕われているようでは務まらないと。

鬱陶しいとか、嫌われているくらいが丁度いい。

もし、すべての人から好かれているとしたら、それは言うべきことを言っていない『いいカッコしい』でダメな上司であると。

家族でもそうだと思いますが、親を鬱陶しく思わない子はいないと思います。

可愛い子には厳しくなるのは当然で、それこそが本来の優しさであり、たとえ嫌われたとしても『子を思う親』なら言うべきことは言うからです。

でも、それで家族は壊れない。

そこには愛があるからです。

ですから、人から慕われないことが全部ダメなわけではないのです。

ひとつのストーリーに縛られないで欲しいのです。

ひとつのストーリーだけを信じていると深刻になってしまいます。

この世界には色々な生き方がありますし、色々な会社や家族の形がある。

幸せも人それぞれです。

今がすべてではありません。

今がダメならほんのちょっと進む角度を変えるだけで世界が変わります。

今、人生に対して深刻になっている人に申し上げたいのは、そんな心の余裕を持って欲しいということです。

人はもっと自由なのです。

人の心は自由

人は自由と言いましたが、それは何をしても自由という行動の自由のことではありません。

これも言葉で表すのには限界がありますが、心が自由だということです。

何を幸せだと思ってもいいし、何をどう捉えても自由です。

人はこうあるべきだとか、こう考えるべきだということはそもそもありません。

先日も紹介した1月期クールでイチ推しの菅田将暉主演のドラマ『ミステリと言う勿れ』で、『本当は逃げたかった』と、子どもの頃にいじめられていたことを告白する淡路一平の話を聞いた主人公の久能整(くのうととのう)は、こう言います。

『僕は常々思ってるんですが(これが整の独特の語りだし)、どうしていじめられている方が逃げなきゃならないんでしょう?欧米の一部では、いじめてる方が心が病んでいると判断するそうです。いじめなきゃならないほど病んでる。だから隔離してカウンセリングを受けさせて癒やすべきだと考える。でも日本は逆です。いじめられてる子に逃げ場をつくってなんとかしようとする。でも逃げると学校に行けなくなって損ばかりすることになる。DVもそうだけど。どうして被害者側に逃げさせるんだろう。病んだり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者の方なのに。』

この話を聞くと、問題の解決を一方向からしか考えていなかった。

つまり、思い込みに縛られていたことに気づかされます。

厳しい言い方をすると、周りがこうしているから、こう考えているからというのは、考えることを放棄した者の言い訳です。

人はもっと自由ですから、自由に発想し、自由に意見を言い、実行することも自由です。

深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ

話を最初に戻すと『深刻になってほしくない』のです。

深刻になるのは、きっと自分はこうあるべきだと思っていて、そうあれない自分を責めているからだと思うからです。

そもそも『あるべき姿』などないのです。

口ではそういうことを言うことはあると思います。

『人としてこうあるべきだ』みたいなことです。

でも、それは表面的な行動や立場の話では、本来ないような気がします。

自分の出来ることを精一杯するとか、自分に嘘をつかないとか、人とは比べることが出来ない目に見えない心の姿勢の部分です。

これは他人からとやかく言われることではありません。

なぜなら他人から見えるものではないからです。

自分で自分を管理するものです。

これもこのブログでは月並みな言葉ですが、『お天道さまは見ている』のですから。

『現代テニスの父』と言われるビヨン・ボルグの言葉に、

深刻になるな、 真剣になれ。

という言葉があります。

少しアレンジしてこう申し上げたいと思います。

『深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ』。

深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれのまとめ

今日は『深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ』と題して、深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれについて考えました。

深刻になってほしくない 
気づいて欲しいと思うのは、自分の立場は『こうあるべき』だというのもストーリーですし、それから外れていると社会に適合出来ていないと思うのもストーリーです。
いつも繰り返し書いていますが、自分が信じていることがすべてではありません。
このストーリーがすべてではないのです。

人の心は自由 
人は自由と言いましたが、それは何をしても自由という行動の自由のことではありません。
これも言葉で表すのには限界がありますが、心が自由だということです。
何を幸せだと思ってもいいし、何をどう捉えても自由です。

深刻になるな、真剣になれ、そして自由であれ 
深刻になるのは、きっと自分はこうあるべきだと思っていて、そうあれない自分を責めているからだと思うからです。
そもそも『あるべき姿』などないのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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