自分とは何か?をわかろうとして迷い込む落とし穴
自分とは何か?を解説します。
結論を先にいうと『自分はいない』のです。
なのに『自分』を解説しようとするから矛盾が起こるのです。(笑)
今日『自分とは何か?をわかろうとして迷い込む落とし穴』と題して、自分とは何か?について考えます。
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自分とは何か?をわかろうとして迷い込む落とし穴
自分とは何か?ということを解説しようとするとあたかも自分というものが在るかのような解説になってしまいます。
こんなたとえ話を聞いたことはありませんか?
自分だと思っているものは、映画の中の主人公のようなもので、でもそれは本当の自分ではなく、その映画を投影しているスクリーンがあって、それを見ている存在が自分であるとか、あるいはスクリーンそのものが自分だとか。
たとえばの話ですから、どれも間違ってはいないと思います。
何もそれが真実だとは言っているわけではなくて、たとえばそういう感じであるということです。
しかし、いずれにしても、それではまるで『本当の自分』が存在するかのような印象をあたえてしまうのではないかと思うのです。
どういうことかというと、私たちは、自分というものが存在しているかのように思っているけれど、それは本当の自分ではなくて、自分を通してこの世界を見ている『本当の自分』がいるみたいなことを、たとえば映画という誰もが知っていることを素材にして表現しているということです。
ここで、また『本当の自分』と言ってしまうと、結局これまでの話しと同じになってしまうので、少し言葉を変えてもう少しストレートいうと『自分というものは存在しない』ということなんです。
映画の中の主人公を見ている人も、スクリーンも自分ではないんです。
先ほどのたとえ話は、『自分はいない』ということをわかろうとしているのに『本当の自分』というものを登場させて、自分だと思いこんでいる自分はニセモノで、大いなる存在である『本当の自分』がいるんだみたいなことを言っているんですが、そもそも『自分はいない』という話しだったはずなのに『本当の自分』はいるんだ??みたいな話しになるわけです。(笑)
そして、ここからが厄介なのですが、それを聞いた人はこう思うんです。
『そうか!本当の自分にならなきゃ!!』と。
『自分はいない』ということをわかろうとしていたはずなのに、また違った形で自分を創り出して『本当の”自分”になろうとする』そんな迷路に迷いこんでしまうみたいなことになっています。
老荘思想に『無為自然(むいしぜん)』という言葉があります。
老荘思想では無為ということがよく言われます。
無為とは『何もなさない』ことです。
しかし無為ということを言われると、何もなさないことをしようしてしまいます。
無為になるのにはどうすればいいですか?そんな思いさえ湧いてきます。
だから無為だと言っているのに!!(笑)
無為が何もなさないことなのに、無為をなそうとしてしまっているということです。
無為を理解するために無為になろうとしてしまうのです。
『自分はいない』もそれと同じことが起こっています。
『自分はいない』ということがどういうことかを理解しようとする自分が表れて、また別の自分が残っているのです。
このようなことが自分にも起こっているなと自覚があるなら、まったく違う方を見るくらいの感覚が必要です。
おそらく、自分の知識の先に知りたいことはありません。
かといって、これまで集めた知識が間違っているとか、無駄だということではなくて、知識に対する『私の解釈』を変えないといけないということです。
多くの教えや哲学は表現は違っても言っていること、言いたいことは、だいたい同じです。ただ表現が違うだけです。
表現でカテゴライズはされていますが根っこは同じです。
そして表現の違いに惑わされている『私』がいて、さらにその違いが解釈に影響を与えているから真実にたどり着けないのです。
表面的な言葉や表現に惑わされることなく、その言葉や表現が何を意図しているのか?その奥行きにライトを当ててください。
自分とは何か?をわかろうとして迷い込む落とし穴のまとめ
今日『自分とは何か?をわかろうとして迷い込む落とし穴』と題して、自分とは何か?について考えました。
『自分はいない』ということをわかろうとしているのに『本当の自分』というものを登場させて、自分だと思いこんでいる自分はニセモノで、大いなる存在である『本当の自分』がいるんだみたいなことを言っているんですが、そもそも『自分はいない』という話しだったはずなのに『本当の自分』はいるんだ??みたいな話しになるわけです。(笑)
今日も読んでいただきありがとうございます。
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