『すべては決まっている』は『すべては在る』ということ
『すべてはこうなると決まっていたんだ』と言われることがありますが、本当のことはわかりません。
しかし、そう思って生きることは、『すべては在る』と思って生きることです。
そして在ると思って生きると現実はそのようになっていくのです。
すべて決まっているは『すべては在る』ということであり、足るを知ることでもあるのです。
今日は『『すべては決まっている』は『すべては在る』ということ』と題して、すべては決まっているについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『すべては決まっている』は『すべては在る』ということ
すでに大金持ち
すべては決まっているというのは、言い換えると『すべては在る』ということです。
以前紹介した【大金持ちのなリ方】動画で、トキくんは、なんで人にお肉をあげられるか尋ねられて、大金持ちだからと言ってました。
おそらく6歳のトキくんですから、人間が使うお金は持っていないと思います。
物理的なお金が有るか無いかは心の豊かさには関係がないということです。
自分はすでに持っているという心でいることが大切なのです。
それが、すべて決まっているとどう関係するか?
シンプルに言ってしまうと幸せになることが決まっているということです。
今目の前の状況に惑わされないということ。
目に見えるものだけが在るのではなくて、目に見えていなくても在るのです。
お金に対するイメージを聞かれると、人によって色んなことを言いますね。
お金は使うと無くなるもの。
お金は循環するもの。
お金は使うと増えるもの。
トキくんは、お金は貯めると腐ると言ってました。
人のために使った方がいいそうです。
お金だけではなくて知識なども同じだそうです。
良い情報を自分だけで独り占めしてると使う前に腐ってしまうのです。
お金も情報もたくさん在るのでどんどん人にあげたほうがいいのです。
あげても大丈夫です。
すでに大金持ちだからです。
この世の最初からすべては決まっていた
もっといい方法があったかもしれない。
自分がもっと頑張れば違う結果があったかもしれない。
そういう思いが幸福感を下げてしまいます。
どんな結果が目の前あったとしても、それが最高です。
というよりも最高の結果しかありません。
もっとハッキリというと、それしかないのです。
比べられる他の結果がないのです。
ですから、逆に言うと最悪の結果もありません。
違う結果があったかもしれない?
そう思うから苦しくなりますね。
でも、それしかないのなら悩みませんよね。
目の前に2つのドアがあるからどちらを開けようか?と悩みますが、ひとつしかなければ悩みません。
人生は選択の連続で、いくつかのドアからどれかを選んで生きてきたような思い込みがあるのです。
しかし、実はそれが全部決まっていたという話です。
そんなことが何でわかるのか?
ビッグバンなのか?アダムとイヴなのか?国生みの神話なのか?
何がこの世の最初かは置いておいて、原因と結果という連続性ですべては脈々とつながっています。
たとえば、私ごときは、そのほんの一部分、一瞬に過ぎませんよね。
この世の最初からすべては決まっているんです。
何かが違っていたら結果は違っていたといいますが、何かが違うということ自体がありえないのです。
この瞬間々が色々な要素の集まりなように、私もあなたも草も木も虫たちもこの瞬間の賜物なのです。
そして今この瞬間に集まっている要素の中には、この世の最初も入っているんです。
つまり、この世が起こったときから今この瞬間は決まっていたということです。
この世にしてそうなのです。
私に起こることだって最初から決まっているのです。
私はこの世の一部なのですから。
他の選択があったはず?
私たちは起こることが決まっていることに対して、幸せだ不幸だと解釈し、他の選択があったはずだと思うことで救いを求めているだけなのです。
しかし、救いを求めているつもりが、逆に苦しみを作っていたのです。
違う結果があったかもしれないという想像が比較を作っています。
すべて決まっているのですから、比較も出来ませんし、悩む必要もありません。
ただ、だからといって、未来がわかっているわけではありませんので、決まっているから頑張っても意味がないわけではありません。
頑張るか頑張らないかも決まっていますので、自分では何ひとつコントロールすることは出来ませんし、選択もしていません。
頑張れなかったとしてもそれも決まっていたのです。
頑張れなかったけど成功することもありますが、それも決まっていたのです。
すべては決まっているとは、そういうことなのです。
すべては在る
『すべては在る』分かりましたか?
この世にあるすべてのものが実は誰のものでもなくて、みんなのもので、みんなのものということは、私のものでもあるのです。
ただ、ここからここまでが自分だと思っている。
たとえば、この肉体が自分だと思っているように、『この家は自分の家だ』、『このお金は自分のものだ』と、そういう風に思っているだけなのです。
そういう思い込みをしているだけで本当は誰のものでもありません。
自分の肉体でさえ、自分のものではありません。
まして、世の中を流通しているお金が自分のものであるはずがありません。
そういう意味ですべては誰のものでもなく、みんなのものであり、私のものでもあるのです。
それがすべては在るということのひとつの意味というか、見え方なのです。
私は、この世という大きな存在の一部であり、私も含めたすべてのモノがこの世を構成する要素です。
すべてはこの世というひとつの塊の中のいち要素なのです。
あえて誰のモノかというと、この世のモノなのです。
その中で『今これは私のモノ』という感覚でモノを見ているだけのことなのです。
だから在ると思っている人には在るし、無いと思っている人には無いのです。
どちらも間違っていませんが、どう思うと幸せなのかはトキくんの話しを聞けばわかりますよね。
すべては決まっているし、すべては在るのです。
『すべては決まっている』は『すべては在る』ということのまとめ
今日は『『すべては決まっている』は『すべては在る』ということ』と題して、すべては決まっているについて考えました。
すでに大金持ち
すべて決まっているとどう関係するか?
シンプルに言ってしまうと幸せになることが決まっているということです。
今目の前の状況に惑わされないということ。
目に見えるものだけが在るのではなくて、目に見えていなくても在るのです。
この世の最初からすべては決まっていた
何かが違っていたら結果は違っていたといいますが、何かが違ういうこと自体がありえないのです。
この瞬間々が色々な要素の集まりなように、私もあなたも草も木も虫たちもこの瞬間の賜物なのです。
そして今この瞬間に集まっている要素の中には、この世の最初も入っているんです。
つまり、この世が起こったときから今この瞬間は決まっていたということです。
他の選択があったはず?
私たちは起こることが決まっていることに対して、幸せだ不幸だと解釈し、他の選択があったはずだと思うことで救いを求めているだけなのです。
しかし、救いを求めているつもりが、逆に苦しみを作っていたのです。
違う結果があったかもしれないという想像が比較を作っています。
すべては在る
この世にあるすべてのものが実は誰のものでもなくて、みんなのもので、みんなのものということは、私のものでもあるのです。
ただ、ここからここまでが自分だと思っている。
たとえば、この肉体が自分だと思っているように、『この家は自分の家だ』、『このお金は自分のものだ』と、そういう風に思っているだけなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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