幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる|抜苦与楽について
仏教が求めているものをひと言でいうならば『抜苦与楽』といわれます。
苦しみを抜き楽を与える。
私たちが求める抜苦与楽と仏教が与えようとする抜苦与楽は少し違いがあるようです。
今日はそのことについて書いていきます。
今日は『幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる|抜苦与楽について』と題して、抜苦与楽について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる|抜苦与楽について
抜苦与楽について
仏教の目的は抜苦与楽(ばっくよらく)と言われます。
苦しみを抜いて楽を与えるという意味ですが、同じ抜苦与楽でも仏教が与えようとする抜苦与楽と私たちが求めている抜苦与楽は若干違うようです。
私たちが求めている抜苦というのは、たとえば貧しいことだったり、病気であったり、人と争ったりすることを解決することです。
これはいわゆる生活苦と言われるものですね。
しかし、仏教が解決しようとする苦しみは人生苦なんです。
貧しいという苦しみを克服することができたら、次は病気になった。病気を克服することができたら、次は人と争うことになった。
つまり、人生というのは苦しみの連続なんですね。
私たちは、目の前の苦しみにばかり目がいってますから、目の前の抜苦求めています。
しかし、仏教が解決しようとする苦しみはこの一つ一つじゃなくて、このすべてなんですね。
というのも、次々にやって来る苦しみの連続こそが人生苦だからです。
この人生苦を解決することが、すべての生活苦を解決することになると考えられているのです。
人生苦を解決するとはどういうことか?
人生苦を解決するとはどういうことか?
人には生活苦の全てに共通している考え方、生き方というものがあります。
その考え方、生き方を変えることによってすべての生活苦が解決するのです。
一事が万事と言いますが、すべては自分の考え方、生き方が根底にあって、その根底にある考え方、生き方が生活として反映されています。
ですから、仕事の仕方を見ていれば、家での生活がわかりますし、家の生活を見ていれば仕事の仕方がわかります。
生き方を変えることによって考え方が変わり、考え方が変わることによってやり方が変わります。
考え方が変わるとやることなすこと全てが変わるのです。
人生を変えようと思ったら一つ一つの生活苦に目を向けるのではなくて、自分の内側にある考え方や生き方を変えること。
それが人生を変えることにつながるのです。
幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる
昨日のブログに書きましたが、悟っても幸せにはなれません。
悟ると幸せになれると思ってるうちは悟れないのです。
というのも悟るということは苦しみの解決であると同時に喜びや幸せを求める心から解放されるということだからです。
悟っても幸せになれるわけではないということを受け入れる覚悟が出来たとき、悟るまでの道のりを楽しむことが出来るようになります。
そうなったときに悟りがあるような気がするのです。
身近なことにたとえると、お金を稼いだら幸せになれると思っているうちはお金を稼ぐことは出来ないといえるのではないでしょうか。
良きパートナーを見つけることが出来たら幸せになれると思っているうちは良きパートナーを見つけることは出来ないかもしれません。
今のままで十分だと。
お金を稼ごうと努力している今が幸せだと思えたときにお金を稼ぐことに成功するし、良きパートナーを見つけるために自分を磨くことを楽しんでいると良きパートナーが見つるかるのかもしれません。
抜苦与楽とは苦しみを抜いて楽を与えるということですが、苦しみがなくなれば同時に楽を求める心もなくなります。
楽を求めなくなる。
幸せを求めなくなる。
そういう教えが抜苦与楽なのです。
幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる|抜苦与楽についてのまとめ
今日は『幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる|抜苦与楽について』と題して、抜苦与楽について考えました。
抜苦与楽について
私たちは、目の前の苦しみにばかり目がいってますから、目の前の抜苦求めています。
しかし、仏教が解決しようとする苦しみはこの一つ一つじゃなくて、このすべてなんですね。
というのも、次々にやって来る苦しみの連続こそが人生苦だからです。
人生苦を解決するとはどういうことか?
人には生活苦の全てに共通している考え方、生き方というものがあります。
その考え方、生き方を変えることによってすべての生活苦が解決するのです。
幸せを求めなくなったとき、幸せはやってくる
悟っても幸せにはなれません。
悟ると幸せになれると思ってるうちは悟れないのです。
というのも悟るということは苦しみの解決であると同時に喜びや幸せを求める心から解放されるということだからです。
悟っても幸せになれるわけではないということを受け入れる覚悟が出来たとき、悟るまでの道のりを楽しむことが出来るようになります。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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