不幸せから逃れたいだけでは幸せになれない

いつも使っている言葉に1セットという言葉があります。
この世界は1セットで成り立っています。
不幸せからだけ逃れたいというのは出来ない相談です。
なぜなら不幸せと幸せは1セットだからです。
今日は『不幸せから逃れたいだけでは幸せになれない』と題して、幸せと不幸せと悟りについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
不幸せから逃れたいだけでは幸せになれない
『悟ったら幸せになれる』と信じている今の方が幸せ

実のところ、悟りはあなたにどんなものも与えてくれません。
その真実を受け入れる意思があなたにはありますか?
ガンガジ著『ポケットの中のダイヤモンド』より
これはスピリチュアルティーチャー、ガンガジの言葉です。
私が悟ることが出来ない理由は悟りが何も与えてくれないという真実を受け入れられていないからかもしれません。
なぜ、悟りたいのか?
それは悟ると幸せになれると信じているからです。
悟ったとしても幸せになれないとしたら、『悟ったら幸せになれる』と信じている今の方が幸せかもしれません。
悟りを目指している今の方が幸せなのかもしれないのです。
不幸せから逃れたいだけでは幸せになれない

なぜ、そう言えるかというと、悟ると幸せになれると信じて探求しているうちは、様々な発見があり、その度に新しい世界が見え、ひとつ気づく度に幸福感を得ることが出来ます。
実はこのプロセスこそが幸福ではないかと思えるのです。
悟るということは、この気づきのプロセスの終了を意味していて、悟るということは、悲しみや苦しみがなくなると同時に喜びや楽しみも失うということだと薄々気づいているのです。
すべての概念から解放されるのが悟りだとしたら、都合よく悲しみや苦しみからだけ解放されるはずがありません。
当然、喜びや楽しみからも解放されるはずです。
悟りを得られないのは喜びや楽しみ、そして幸福感からの解放を受け入れる準備が出来ていないのです。
単に苦しみや悲しみ、不幸せから逃れたいというだけでは悟りに至ることが出来ないのではないか?
ガンガジの言葉からそのことに気づいたのです。
迷いの中に悟りがある

お釈迦様が入滅される様子を描いたものを釈迦涅槃図といいます。
涅槃とは、仏教が理想とする悟りの境地です。
だとするとお釈迦様でさえ入滅後、最高の悟りの境地にいかれたと考えられます。
まして、私ごときが生きたまま悟るなどおこがましいといえるかもしれないですね。
人間の生きる目的が幸せになることだとしたら、それは悟ることではなく、苦しみも喜びもある煩悩まみれの今を生きることなのではないかと思うのです。
そこで先日のブログに書いた『迷いの中に悟りがあり、悟りの中に迷いがある』という言葉が輝きを放ちます。
迷うのが人間本来の生き方です。
それに逆らうから苦しいのです。
迷うことを受け入れることが悟りなのです。
迷いながら生きることが悟った生き方。
それに気づけば今すでに悟っていることに気づくことが出来ます。
迷っていていいのだとわかれば、それが悟りなのだと思うのです。
不幸せから逃れたいだけでは幸せになれないのまとめ
今日は『不幸せから逃れたいだけでは幸せになれない』と題して、幸せと不幸せと悟りについて考えました。
『悟ったら幸せになれる』と信じている今の方が幸せ
実のところ、悟りはあなたにどんなものも与えてくれません。
その真実を受け入れる意思があなたにはありますか?
不幸せから逃れたいだけでは幸せになれない
すべての概念から解放されるのが悟りだとしたら、都合よく悲しみや苦しみからだけ解放されるはずがありません。
当然、喜びや楽しみからも解放されるはずです。
悟りを得られないのは喜びや楽しみ、そして幸福感からの解放を受け入れる準備が出来ていないのです。
迷いの中に悟りがある
迷うのが人間本来の生き方です。
それに逆らうから苦しいのです。
迷うことを受け入れることが悟りなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません