何を信じるか?|信じる必要のない、信じるということを超えた境地
信じるということを超えた境地について考えました。
信じるということは、信じられないとか、疑わしいからこそ、信じるという言葉が成り立ちます。
信じる必要がない境地とはどんな境地か?
今日は『何を信じるか?|信じる必要のない、信じるということを超えた境地』と題して、信じるということを超えた境地について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
何を信じるか?|信じる必要のない、信じるということを超えた境地
安心してくつろぐ
結果はコントロール出来ませんが、解釈はコントロール出来ます。
最初から『これはこうこうこうなると決まってたんだ』と決めておく。
そして、それは自分たちを生かしてやまない全体とか、宇宙とか、神とか、そういった大いなる存在が決めたことだから、悪いはずがないということなんです。
そこに安心してくつろぐということです。
このブログに書いた文章がすごく気に入っています。
『自分たちを生かしてやまない全体とか、宇宙とか、神とか、そういった大いなる存在』を信じるというのは、だいたいの人は一度は耳にしたことがあるのではないかと思います。
しかし、それをどの程度深く信じているか?ということが自分の心の平安とリンクしていると思います。
『そこに安心してくつろぐということです。』とくくっていますが、どの程度安心しているか?ということです。
くつろぐといってもソファに腰掛けるようにくつろぐとか、ベッドに横になるようにくつろぐとか、畳の上にゴロンと転がるようにくつろぐとか。色々なくつろぎ方があります。
この世界でくつろぐといっても完全に自分の力を抜いてくつろげるという場面はありません。
身体は預けていても心は預けていない。どこかで警戒していていないといけない。
これでは安心してくつろいでいるとはいえません。
ネガティブな表現になってしまいますが、どこかで疑いながら生きているというのが現実です。
何を信じるか?
最近のブログでは堪忍土(かんにんど)という言葉がよく出てきます。
堪忍土とは、この世は思い通りにならない世界であるという意味です。
自分を信じる。他人を信じる。世間を信じる。神や仏を信じる。
思い通りにならない世界で、自分が何かを信じようとすることは素晴らしいことですが、信じてもそれが次から次へと崩れていってしまいます。
それは堪忍土だからです。思い通りにならないことが起こると疑う気持ちが湧いてきます。
信じたものがいつかまた崩れるのではないかと不安な気持ちが消えないのです。
ですから『自分が信じる』というのは、大切な心がけではありますが、それでは心に平安はおとずれません。
思い通りにならないという心は、信じるという心を常に上回ってきます。
今度こそは正解にたどり着いたと思っても、またそれ以上の問題が起こって、絶望し、違うと頭を叩かれ、また正解を探す旅に出ることになります。
信じるということを超えた境地
自分たちを生かしてやまない全体のことを信じて、疑い、また信じる。そしていつかその疑いが晴れるときがきます。
その時には、大いなる存在、全体に包み込まれてくつろげます。
そこまで来たら心に平安がおとずれます。
それまでは何度も疑うでしょう。
なぜ疑うのかというと、『自分が』信じようとしているからです。
自分が信じたことは裏切られることもあるし、疑いも起こります。
迷う心を持っているのが私たち人間だからです。
自分が信じるのではなく、迷うことのない大いなる存在、全体がが決めたことだから、悪いはずがないということなのです。
信じる必要のない、信じるということを超えた境地です。
言葉でいうと信じるとしか言えないので、何を信じるか?という問いがあれば、それは自分たちを生かしてやまない全体とか、宇宙とか、神とか、そういった大いなる存在が決めたことだから、悪いはずがないということを信じるということになるのです。
何を信じるか?|信じる必要のない、信じるということを超えた境地のまとめ
今日は『何を信じるか?|信じる必要のない、信じるということを超えた境地』と題して、信じるということを超えた境地について考えました。
安心してくつろぐ
くつろぐといってもソファに腰掛けるようにくつろぐとか、ベッドに横になるようにくつろぐとか、畳の上にゴロンと転がるようにくつろぐとか。色々なくつろぎ方があります。
この世界でくつろぐといっても完全に自分の力を抜いてくつろげるという場面はありません。
何を信じるか?
『自分が信じる』というのは、大切な心がけではありますが、それでは心に平安はおとずれません。
思い通りにならないという心は、信じるという心を常に上回ってきます。
信じるということを超えた境地
自分が信じたことは裏切られることもあるし、疑いも起こります。
迷う心を持っているのが私たち人間だからです。
自分が信じるのではなく、迷うことのない大いなる存在、全体がが決めたことだから、悪いはずがないということなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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