自分を見ている自分|苦しい人生と苦しくない人生どっちがいいですか?
自分を見ているもうひとりの自分というのは意識するだけで簡単に創り出すことが出来ます。
創り出すというよりも、もともとあるものを意識するという感じです。
これまでよりも強く意識することで、冷静な自分の純度が高くなります。
今日は『自分を見ている自分|苦しい人生と苦しくない人生どっちがいいですか?』と題して、自分を見ているもうひとりの自分について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分を見ている自分|苦しい人生と苦しくない人生どっちがいいですか?
自分を見ているもうひとりの自分
『素敵な人になると決める』というお約束のことを昨日のブログでは書きました。
この約束をともいき信聞塾の時だけではなく、普段も思い出したときはするようにしています。
そうすると、自分を見ている自分という存在が、なんとなく日常的にいるという状態になります。
考えが起こったときに、考えている自分を俯瞰的にみている自分がいつもいるわけです。
そうするとたいていのときは冷静でいられます。
怒っているときも表面的には怒っていても、実は内面はかなり冷静なんです。
演技ではありませんが、怒っている自分を自覚しながら、怒っているという感じです。
こういうときは、怒りも簡単におさまります。
怒らないようにコントロールするというより、怒りをコントロール出来るという感じです。
えっ!?さっきまであんなに怒っていたのに?ともしかすると周りの人は思っているかもしれませんね。
恐らく俯瞰している自分の方に本当の自分がいて、そっちが冷静なので、すっ〜とそっちの自分が自分になるみたいな感じなんだろうと思います。
しかし、その冷静さを失うほどぶわーと感情に自分を持っていかれる時というのがあります。
こうなると、勢いみたいなものがあって、簡単に怒りがおさまりません。
このときだって、もうひとりの自分が自分を見ているんですが、もうひとりの自分まで怒っちゃってるので、怒りがおさまらないのです。
こうなると引っ込みがつかないみたいな感じになってしまいます。
世界がふたつある
『素敵な人になると決める』というようなトレーニングを日常的にする前は、自分がひとりしかいませんから、怒りでも喜びでも常に感情に支配されている自分しかいないわけです。
よく映画などにたとえますが、自分は映画の主人公を演じているのに役にどっぷりとハマってしまって、演じているという自覚がまったくないというような感じです。
役でやっているなら、怒っている場面を演じていても、本当の自分は怒っていませんよね。
ハマっていると本当の自分がいなくて、怒っている自分しかいないのです。
このときは、世界がひとつしかないわけです。
自分が怒っているときは怒っている自分が見ている世界しかありません。
しかし、もうひとりの自分、冷静に自分を見ている自分がいるときは、冷静な自分が見ている世界もあるんです。
実は、世界はひとつなんですが、怒っている自分に見えている景色と、冷静な自分に見えている景色は違うんです。
それが『世界がふたつある』という状態です。
怒っている自分には見えない世界が見えるようになります。
それで、よくよく冷静に見ていると怒っている自分は、自分の頭の中でストーリーを創って、それに対して怒っていることに気づくわけです。
冷静な自分に見えている世界では、怒るべき事実はないという場合がほとんどなのです。
怒るべき事実だと思っていることは、自分が創り出したストーリーだからです。
自分らしく生きる
だとすると、自分の思考を使わずに世界を見れば、怒ったり悲しんだりすることはほとんどないということになります。
思考が創り出したストーリーがすべて間違っているとは言いません。
中にはあたっていることもあるかもしれませんが、あたっているという確証もありません。
ですが、ハマっている自分は間違いないと信じているのです。
自分がひとりしかいないときは、それに苦しんだり悲しんだりしていたのですが、もうひとりの自分の存在が苦しんでいる自分を救ってくれたのです。
また、自分が信じていることが自分に制限をかける場合もあります。
自分の行動が周りを不快にしていると信じていると、自分の行動を制限してしまいますが、それもストーリーだとしたら、制限は見当違いということもあります。
思考を完全に使わないということは出来ないとしても、もうひとりの自分を持つことで、思考を使っていない世界も見えるようになれば、自分に制限をかけずに自分らしく生きることもできます。
この世界の主人公は自分
ひとつ誤解を解かないといけないことがあります。
それは、これまで自分は思考を使うことで世界に参加していたという誤解です。
怒ったり、悲しんだり、喜んだりすることで自分の存在をアピールしてきたつもりなんです。
子どもがおもちゃを買って欲しくて泣いているみたいなものです。
自分をわかってくれ〜。わー!みたいな。(笑)
何もしないと誰も自分のことに気づいてくれないと無意識に思っている可能性があります。
わがままを言うのも、それを聞いてくれる人がいることで自分の存在を認めさせようとしているわけです。
冷静になってしまうと、これまでのように感情が揺れませんし、わがままな気持ちも湧きませんから、誰も自分に気づかないのではないかと不安になります。
しかし、この世界の主人公は間違いなく自分です。
それぞれの人が、それぞれの世界を生きています。
そして誰もがその世界の主人公です。
ことさら自分をアピールしなくても主人公ですから、いつもスポットライトは当たっています。
安心して、ありのままの自分でいればいいと思います。
そうしても、そうしなくても世界は何も変わりませんが、自分の感じ方が変わります。
苦しい人生と苦しくない人生どっちがいいですか?
どう生きると苦しくないかは簡単なことだと思います。
自分を見ている自分|苦しい人生と苦しくない人生どっちがいいですか?のまとめ
今日は『自分を見ている自分|苦しい人生と苦しくない人生どっちがいいですか?』と題して、自分を見ているもうひとりの自分について考えました。
自分を見ているもうひとりの自分
『素敵な人になると決める』というお約束のことを昨日のブログでは書きました。
この約束をともいき信聞塾の時だけではなく、普段も思い出したときはするようにしています。
そうすると、自分を見ている自分という存在が、なんとなく日常的にいるという状態になります。
考えが起こったときに、考えている自分を俯瞰的にみている自分がいつもいるわけです。
世界がふたつある
自分が怒っているときは怒っている自分が見ている世界しかありません。
しかし、もうひとりの自分、冷静に自分を見ている自分がいるときは、冷静な自分が見ている世界もあるんです。
実は、世界はひとつなんですが、怒っている自分に見えている景色と、冷静な自分に見えている景色は違うんです。
それが『世界がふたつある』という状態です。
自分らしく生きる
思考を完全に使わないということは出来ないとしても、もうひとりの自分を持つことで、思考を使っていない世界も見えるようになれば、自分に制限をかけずに自分らしく生きることもできます。
この世界の主人公は自分
ことさら自分をアピールしなくても主人公ですから、いつもスポットライトは当たっています。
安心して、ありのままの自分でいればいいと思います。
そうしても、そうしなくても世界は何も変わりませんが、自分の感じ方が変わります。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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