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不幸を楽しむという考え方|不幸を楽しむと不幸が幸せになる

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不幸は不幸だと思っているときは不幸ですが、不幸を楽しむことが出来たら、その時点で不幸ではなくなります。

人間は思った通りになるものです。

他人が思っていることは自分の思っていることには勝てません。

自分の思い方次第で幸せにも不幸せにもなれるのです。

今日は『不幸を楽しむという考え方|不幸を楽しむと不幸が幸せになる』と題して、不幸の楽しむことの大切さについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

不幸を楽しむという考え方|不幸を楽しむと不幸が幸せになる

他人が思っていることと、自分が思っていることは違う

幸せについて考えたとき、あることを思い出しました。

2018年の夏に沖縄で脳出血をして、そのまま現地の病院に入院していた時の話です。

たまたま、その入院期間に沖縄に仕事で来ていた友人がお見舞いに来てくれました。

僕の顔を見たその人は第一声こう言いました。

『元気そうでびっくりした』

そういう言葉だったかどうかは記憶が定かではありませんが、とにかく相当僕が落ち込んでいるとか、不幸な空気を出しているものだと思っていたらしく。

恐らく僕はお見舞いに来てくれた喜びで満面の笑顔だったと思うのですが、その顔を見て驚いた様子でした。

その後、言われた言葉に今度は僕が内心驚いたのですが、『こいつはどこまでついてないんやと思った』というのです。(笑)

驚きを通り越して笑ってしまいました。

そう思われてたんやと思ったわけです。

今回の病気のことだけではなく以前から僕はどうやらこの人から不幸だと思われていたようなのです。

確かに自分のここ数年のことを振り返ってみると、心不全で二回入院するし、パートナーは癌で亡くすし、で今度は脳出血です。

もし、これが他人のことなら確かにそう思うかもしれないなと思いました。

しかし、言われるまで、言われた後も変わらないのですが、自分がそれほど不幸だとは思っていませんでした。

順風満帆だとか、人と比べて幸せだとまでは確かに思っていませんでしたが、その人の言葉から伝わってくる『どこまでもついてないやつ』だとは思っていませんでした。

他人が思っていることと、自分が思っていることがあまりにもかけ離れていることをまざまざと実感したのでした。

その後、自分の近況をその人に話していたら『めっちゃ幸せそうやん!安心した』と言って帰っていきました。

他人がどう思っているかは自分の幸福感には一切関係がない

この時に確信したことは、他人がどう思っているかは自分の幸福感には一切関係がないということです。

もし、これが逆で、友人は僕のことをそれほど不幸だとは思っていないのに、僕が自分自身のことを不幸だ、恵まれていないと思っていたとしたらどうでしょうか?

恐らく、この時の僕はものすごい不幸な人生の時間を過ごしている時期だということになります。

実際、僕はどう考えていたかというと、病院に運ばれたときには脳出血で手術が必要かもしれないと聞かされていたので、目が覚めたときに『手術はしないで大丈夫でした』と聞かされて『そうだったんだ』と思いました。

そして、聞かされるまでもなく、脳出血ですから、後遺症が残るかもしれないと覚悟をしていました。

当時45歳だったと思うのですが、残りの人生はこの身体で出来ることをして生きていこうと目が覚めてすぐに考えていました。

セミナー講師だったからというのもありますが、この身体だから出来ること、伝えられることがあるんだろうと考えていました。

後悔とか、元気だった身体に対する未練は大げさではなくてまったくありませんでした。これからのことばかり考えていました。

車椅子でセミナーをしている自分のイメージとかしていました。

それはそれでカッコいいなとか思っていたんです。(笑)

ひとつ気がかりだったのは、合宿セミナーの講師の仕事で沖縄に来て、合宿中に病気になったことでした。

参加者の方には迷惑をかけたなと思っていましたが、僕の病気でみなさんが色々なことを考えたと聞かされていたので、これは伝説のワークショップになったなと思いました。人生で起こることはすべて学びですからね。

ですから大変な病気をしたのに『ついていた』『ラッキーだった』とは思っていましたが、不幸だとは思っていませんでした。

ですから友人の反応に逆に驚いたわけです。

思い切って全然違う方向を見る

『幸せは自分の心がきめる』と言いますが、自分の幸せは自分が決めるということが間違いないということを声を大にして言いたいのです。

他人からそう思われることだって不幸のうちだと考える人もあるかもしれませんね。

しかし、他人がそう思っているかもしれないと自分が思うことは不幸のうちですが、他人が思っていることは他人が思っているだけのこと、関係ありません。

他人が不幸だと思っていても、自分が思っていなければまったく不幸ではないのは前述した通りです。

自分が自分のことを不幸だと思ってしまったとき、最悪の場合とても残念なことが起こってしまいます。

自ら生命を絶つ人もありますし、人の生命を殺めるような事件もあります。

どんな事が起こったとしても、色々なモノの考え方や捉え方があるということです。

自分を不幸だと思ったとき、自分の心は一方向だけをみています。

その方向は真っ暗闇で、まるで狭い真っ暗な部屋に閉じ込められたような気持ちですよね。

しかし、そこは閉ざされた部屋では決してなくて、少しだけ見る方向を変えるとほんの少しかもしれませんが光が差すことがあります。

思い切って全然違う方向を見ることが出来たなら、眩しいくらいの光が自分を照らしてくれるかもしれません。

人間は思った通りになるものです。

幸せになりたいと思っている間は『幸せになりたい人』、つまり幸せではない人です。

幸せな人というのは幸せになりたいとは考えていませんよね。

ただ今を楽しんでいるだけです。『幸せな人』であるだけです。

どんな状況でも楽しみ方ってあるものです。

子どもは幸せになりたいとは考えていません。

子どもが幸せになりたいと考えだしたら大人になったということでもありますが、『人生は苦である』不幸のはじまりでもあります。

子どもも大人も幸せの原理は同じなのです。

ちなみに2週間ほどのリハビリは必要でしたが、身体的には以前と変わらない状態にまで回復しました。

やっぱりついてますよね。(笑)

不幸を楽しむという考え方|不幸を楽しむと不幸が幸せになるのまとめ

今日は『不幸を楽しむという考え方|不幸を楽しむと不幸が幸せになる』と題して、不幸の楽しむことの大切さについて考えました。

他人が思っていることと、自分が思っていることは違う 
他人が思っていることと、自分が思っていることがあまりにもかけ離れているということを念頭におく。

他人がどう思っているかは自分の幸福感には一切関係がない
病気をしたから不幸、悪いことが起こったから不幸。自分の心の中はそれほど単純ではありません。

思い切って全然違う方向を見る  
自分を不幸だと思ったとき、思い切って全然違う方向を見ることが出来たなら、眩しいくらいの光が自分を照らしてくれるかもしれません。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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