八正道の真の目的| 自分のゲシュタルトを見ること
『八正道の真の目的』について書きました。
追伸でも書いていますが、日頃からそう思っているとか、随分前に気づいたことを書いたのではなくて、天から降ってきたのか地から湧いてきたのか、つい先日の信聞塾の中でお話した内容の備忘録的に書いています。
今日は『八正道の真の目的| 自分のゲシュタルトを見ること』と題して、八正道の真の目的について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
八正道の真の目的| 自分のゲシュタルトを見ること
徹底的にひとつのことをすること
なんとなくやっていると見えないものが、意識的に見ることで見えてきます。
たとえば、なんとなく身体を洗っているとわからないのですが、同じ箇所を10回擦って洗うと決めます。
10回擦って洗うことが効果があるかどうかはこの際関係ありません。意識することが目的です。
そうすることで洗えていないところがわかってきます。
なんとなく洗っているとわからないのです。
身体に善い食べ物を食べようと意識をします。それを実践すると身体に悪い食べ物が見えてきます。
この原理がすべてのことに通じます。
ここで大事なことは善い悪いを区別することではなくて、善いものと悪いものがセットで全体だということに気づくことです。
善い悪いを区別することが悪いわけではありません。ある段階ではそれでOKですが、それよりも段階が進めば、それよりも重要なことがあるということです。
善悪というのは片方だけを見ている間だけの話で、全体が見えたとき善も悪もなくなるのです。
だいたいの場合、自分が善でそれ以外が悪ですね。
明らかに犯罪を犯したなど、自分が悪だと認識出来る場合は、自分が悪でそれ以外が善です。
全体を見えた時、それぞれに『正しさ』があることが理解できるのです。
善い行いをすることは大事なことですが、善い行いを知るためには悪い行いを知らないといけないし、悪い行いを知らずして行う善行ほど浅いもの、独りよがりなことはないということです。
いきなり全体を知ることは難しいですから、正しさを通して間違いを知ります。
正しさと間違い、ふたつを合わせて全体です。
正しさを徹底的にやるための修行法が、お釈迦様の八正道なのです。
八正道の真の目的
仏教の八正道の目的は正しいことをすることですが、真の目的は正しいことをすることではありません。
八正道の真の目的は徹底的に正しいことをやって間違いを知り、自分のゲシュタルト(全体)を見ることなのです。
八正道とは
涅槃に導く八つの実践徳目からなる聖なる生き方のことで、1.正見(正しい見解)、2.正思惟(正しい考え方)、3.正語(正しい言葉)、4.正業(正しい行動)、5.正命(正しい仕事)、6.正精進(正しい努力)、7.正念(正しい気づき)、8.正定(正しい精神統一) の八つから成ります。
この世界の理(ことわり)を知るとは、世界のゲシュタルトを見ることです。
この場合の世界とは、この世のことです。
少しむずかしい概念ですので、ゆっくり、じっくり読んでください。
世界を見ているのは自分です。
自分と自分以外で、この世は出来ていて、自分から見た時に自分以外を世界といっているのです。
よく見てみると自分も世界の一部なので、自分=世界です。
世の中は余の中なのです。
さきほどの正しさを理解すると悪が理解出来るのと同じで、自分を知ることで世界を知ることが出来るし、世界を知ることで自分を知ることが出来ます。
ただ世界を知るといっても果てしないですね。だから自分を知ることを徹底するのです。
自分とは正しさの塊ですが、自我によって正しいことをしたり間違ったことをする愚かな存在でもあります。
何が正しくて何が間違っているかがわからなくなっています。
ゲシュタルト崩壊しているのです。
ゲシュタルト崩壊についてはこちらの記事をご覧ください。
徹底的に、”本当”に正しいことをやったときに本当の悪も見えて、ゲシュタルト(全体)が見えるのです。
そのために、意識的に正しいことを徹底的にさせようとしたのがお釈迦さまが提案した八正道なのです。
正しさという枠はなくならない
八正道の目的は正しいことをすることですが、真の目的は正しいことをすることではありません。
正しさの反対にあるものを見て全体を知ることなのです。
ただし、人間の持つ『正しさの枠』というものはなくなりません。
ただ、どこを枠組みするかを変えることは出来ます。
昨日までの正しさと今日の正しさを変えることは出来ます。
ただし、正しさという枠を持って生きるということは変えられません。
ですから、一旦ゲシュタルトを見ることで枠組みをリセットして、新たに枠を作り直すことで人生が変わるのです。
悟るとか目覚めるというのはゲシュタルトを見ることなのです。
悟った人は枠があってないようなものであることを自覚しながら枠の中を生きています。
自分の正しさもありますが、相手の正しさがあることも知っているのです。
大事なことは自分の正しさを証明することではありません。
議論や争いに勝つことでもありません。
全体を知り、調和をとっていくことなのです。
追伸
今日の内容は、先日の信聞塾の中でお話した内容ですが、常日頃そう思っているとか、随分前に気づいたことを話したのではありません。
その場で話ながら自分の奥底から湧いてきたものです。
話ている自分でさえも『そうだったのか!』と気づきながら話していたというのが本当のところです。
だからといって、まったく自分の中になかったのかというと、そうではなくて部分々としてはあったのです。
点のような存在だったものが話しながらつながって、面になり、高さと奥行きを持ったのです。
いわゆるゲシュタルト崩壊していたものがゲシュタルトとしてひとつ(全体)になったのです。
この現象こそが今日の内容そのものであるし、悟りの原理であると言って差し支えないと思います。
八正道の真の目的| 自分のゲシュタルトを見ることのまとめ
今日は『八正道の真の目的| 自分のゲシュタルトを見ること』と題して、八正道の真の目的について考えました。
徹底的にひとつのことをすること
大事なことは善い悪いを区別することではなくて、善いものと悪いものがセットで全体だということに気づくことです。
八正道の真の目的
徹底的に、”本当”に正しいことをやったときに本当の悪も見えて、ゲシュタルト(全体)が見えるのです。
そのために、意識的に正しいことを徹底的にさせようとしたのがお釈迦さまが提案した八正道なのです。
正しさという枠はなくならない
昨日までの正しさと今日の正しさを変えることは出来ます。
ただし、正しさという枠を持って生きるということは変えられません。
ですから、一旦ゲシュタルトを見ることで枠組みをリセットして、新たに枠を作り直すことで人生が変わるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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