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人間は自由の刑に処せられている|自由と責任|サルトル

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『人間は自由の刑に処せられている』

哲学者サルトルの有名で意味深い言葉です。

言葉にも言葉が持つ意味があり、枠があります。

『自由』という言葉にもかかわらず自由は自由ではありません。

自由という言葉にも意味と枠があり、またそれに縛られることがあります。

本当の自由とはとても奥深いものだと思います。

今日は『人間は自由の刑に処せられている|自由と責任|サルトルと題して、自由の意味と本質について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

ジャン=ポール・サルトル

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトルは、フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物である。

引用:Wikipedia

人間は自由の刑に処せられている

自由であるということは、多くの人がすでに理解している通り責任を伴うということです。

たとえば、会社員は自由ではありません。

会社員である以上、会社の命令に従わないといけませんが、その分、最終責任は会社が担ってくれます。

起業をして社長になると、意思決定をする自由を得ることになりますが、すべての責任は自分にあります。

自由と責任は1セット、裏表の関係です。

自由さに比例して責任は重く、責任が軽ければその分、自由も制限されます。

そして自由をとるか責任をとるかも自由です。

これを『人間は自由の刑に処せられている』という言葉で表していると考えます。

人間は生まれついて自由な存在

サルトルは実存主義を代表する哲学者です。

1945年に行われた歴史的講演での基本テーマは『実存は本質に先立つ』というものでした。

どういうことかというと。

人間は生まれたときには目的も使命も持っていません。

何もないゼロの状態で生まれてきます。

ただ人間としての実存があるだけで何をするために生まれてきたという本質はまだありません。

しかし、物は違います。

たとえばナイフは物を切るために作られます。

先にナイフがあってから物を切ることが決まることはありません。

人間の場合、まず自分という実存があり、それから本質を選び取ることになります。

つまり何も決まっていない自由な存在として生まれて来るというのです。

自由な状態で生まれてきて、人生を歩むうちにだんだんと目的を持ち、使命感を持つようになります。

生きる本質が見えてきます。

ですから、人間はもともと自由であるというのです。

自由とは責任の中で生きるからこそ価値がある

サルトルは傍観主義を否定しました。

自由という言葉を履き違えると、自由を求めて無人島にひとりで暮らすことになります。

それは人間が求めている自由でしょうか?

社会参加をして自分も影響を与え、また影響を受ける中で、己を発揮することこそ、自由である価値だと思います。

自分という個人が世の中の一部であると考えて、世の中に対して責任を持つこと。

たとえば、環境に配慮した生き方をするとか、ポイ捨てはしないなど。

選挙に行くなどもそうですね。

自分が投票したくらいでは何も変わらないと考えるのは自分勝手な考えです。

選挙に行かない人に政治を批判する資格(自由)はありません。

個人である自分たち一人ひとりがきちんと責任を果たすことが、世の中に対して責任を持つことになります。

そういう大きな責任を果たす人ほど、大きな自由を手に入れることが出来ます。

物質的な物が手に入る自由なんて実にちっぽけな自由です。

本当の意味の自由を感じられるのは、自分は世の中の一部であると自覚し、世の中に対して責任を果たしていると感じられる時なのです。

世の中は余の中なのです。

人間は自由の刑に処せられている|自由と責任|サルトルのまとめ

今日は『人間は自由の刑に処せられている|自由と責任|サルトルと題して、自由の意味と本質について考えました。

人間は自由の刑に処せられている
自由さに比例して責任は重く、責任が軽ければその分、自由も制限されます。
そして自由をとるか責任をとるかも自由です。

人間は生まれついて自由な存在
人間の場合、まず自分という実存があり、それから本質を選び取ることになります。
つまり何も決まっていない自由な存在として生まれて来るのです。

自由とは責任の中で生きるからこそ価値がある
本当の意味の自由を感じられるのは、自分は世の中の一部であると自覚し、世の中に責任を果たしていると感じられる時なのです。


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