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自分に正直になることこそ堕落である|堕落論|坂口安吾

理想とは何か?堕落とは何か?

人間の真の姿、己の真の姿を素直に認めるためにも坂口安吾の堕落論を知り、ものさしにすることは深い生き方をするにあたり意義のあることだと思います。

人として正しい姿は何なのか?
他人が作った規範に従うことがそうなのか?

人間らしくあることが理想なのか?自分らしくあることは堕落なのか?

今日は『自分に正直になることこそ堕落である|堕落論|坂口安吾と題して、自分らしく生きる、人間らしく生きることについて考えます。



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坂口安吾 略歴

(1906-1955)新潟市生れ。1919(大正8)年県立新潟中学校に入学。1922年、東京の私立豊山中学校に編入。1926年東洋大学文学部印度哲学倫理学科に入学。アテネ・フランセに通い、ヴォルテールなどを愛読。1930(昭和5)年同校卒業後、同人誌「言葉」を創刊。1931年に「青い馬」に発表した短編「風博士」が牧野信一に激賞され、新進作家として認められる。少年時代から探偵小説を愛好し、戦争中は仲間と犯人当てに興じた。戦後、『堕落論』『白痴』などで新文学の旗手として脚光を浴びる。

引用:https://www.shinchosha.co.jp/writer/1581/

堕落論|坂口安吾 ~生きづらいのなら、本気で堕落しなさい~

自分に正直になることこそ堕落である

坂口安吾の堕落論から感じたことを書きます。

ひと言でいうと『自分に正直になることこそ堕落である』と感じました。

こう書くと、自分の正直な姿は堕落した姿だと言っているようですが、実際そうなのではないかと思うのです。

たとえば道徳とか修身といったものは、こうあれば社会生活を営む上で理想とされる規準ではあるけれど、それが人間として正直な状態かというと甚だ疑問だと思うわけです。

そのひとつの表れとして、坂口安吾は『戦後生き残った男たちも闇の仕事に手を染め(闇市のこと)、健気な心情で男たちを戦地に見送った妻も。亡き夫の存在を忘れ、新しい夫が出来ていく』と書いています。

しかし、人間本来の姿とはそういうものです。

またそうでなければ生きていくことはままならないはずです。

理想があるということは、そうでない状態の方が本来の姿、あるいは大半を占めるから、理想を掲げ、それに近い生き方をしようとしているのです。

ですから、『自分に正直になることこそ堕落である』というのは筋が通ると思うのです。

では理想ではなく堕落することこそ正義かというと、そう言い切ることは出来ません。

もし、すべての人がすべてのことに対して正直になってしまうと、それはそれで困った世界になるでしょう。

自分の本心を自分に隠さず自覚した上で、道徳や修身といったものを規準にする分にはいいけれど、自分の本心を醜いものとして、恥じて、まるで『自分は道徳的な人間だ』として振る舞うことは自分を苦しめることだと思うわけです。

”生きづらさ”を感じるとは、そういう状態ではないでしょうか。

堕落の道は孤独の道

多くの人は大勢に従います。

それに一切囚われずに我の信じる道を行くのは孤独の道です。

大勢は自分の本心を醜いものとして、恥じて、まるで『自分は道徳的な人間だ』として振る舞います。

ですから、それこそが社会正義として是とされるでしょう。

他人と議論をするときに、表面的には理想論を掲げ、実のところ本心は自分の欲得のためであることがあります。

自分の心の中にある理想と本心のギャップこそが自分を苦しめている正体ではないかと思うのです。

本当に自分自身を救いたいのなら自分の本心に従い、孤独ではあるけれど堕落の道を生きることです。

正義と悪、両方”あってよし”

人間の中には両方あるのだと思います。

理想と本心、道徳と堕落、正義と悪、美しい心と醜い心・・・。

デール・カーネギーの『人を動かす』の中に”針の先ほどのきっかけ”からでも簡単に人を殺した凶悪犯”二丁ピストルのクローレ”ーの言葉が載っています。

『私の心ーそれは、疲れ果てた心ではあるが、優しい心である。誰ひとり人を傷つけようとは思わぬ心である』

人を殺すような者でさえ、自分は正しい、そうするより仕方がなかったと自分の行為を肯定するのです。

人間の心には、正義と悪、両方あるのだけれど、片方しか自覚がありません。

そして自覚がある方が、たとえ世間的に悪だったとしても自分にとっての正義なのです。

坂口安吾の堕落論はその自覚がない方、”自分にとっての堕落(悪)”が自分の中にあることを認めなさいと言っていると思います。

ただ認めるだけなら、認めている人も多いでしょう。

それを”よし”としないさいということです。

”よし”とするというのはそれを正義にしなさいということではありません。

あること自体を否定せずに”あってよし”とするということです。

つまり”ともいき”するということです。

なぜなら、それがあるから理想も存在するからです。

自分の中の堕落を認めているから理想を目指すことが出来るのです。

自分に正直になることこそ堕落である|堕落論|坂口安吾のまとめ

今日は『自分に正直になることこそ堕落である|堕落論|坂口安吾と題して、自分らしく生きる、人間らしく生きることについて考えました。

自分に正直になることこそ堕落である
理想があるということは、そうでない状態の方が本来の姿、あるいは大半を占めるから、理想を掲げ、それに近い生き方をしようとしているのです。

堕落の道は孤独の道
自分の心の中にある理想と本心のギャップこそが自分を苦しめている正体。

正義と悪、両方”あってよし”
”自分にとっての堕落(悪)”が自分の中にあることを認めなさい。


今日も読んでいただきありがとうございます。

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