まじめな日本人が読めないフォント|全体をなんとなく捉える

数年前にネットで話題になった日本人には読めないフォントをご存知ですか?
Electroharmonix(エレクトロ
このフォントはすべて、日本人にも馴染みのあるアルファベットなのですが、ほとんどの日本人は読めず、ほとんどの外国人は読めたそうです。
それには日本人の真面目な性格が起因していると思われます。
今日は『まじめな日本人が読めないフォント|全体をなんとなく捉える』と題して、”なんとなく”の大切さを考えます。
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日本語に見えるのに、日本人には読めないフォントが話題
https://youtu.be/N2zauHCLyM4
まじめな日本人が読めないフォント
このフォントのことを知って、なぜ日本人には読めないのか?を考えました。
このフォントは日本語である漢字やカタカナをベースに文字を崩したり、曲げたりして作られています。
日本人にとっては日本語にしか見えないわけです。
ただ、それは理論的な話であって、一番の要因は真面目だからだと思います。
一文字一文字を真面目に読む日本人だから、漢字やカタカナに見えてしまうのです。
東京大学名誉教授のロバート・キャンベルさんがおっしゃるように、少し引いたところから一文字一文字を見るのではなく、ざっくりと見て、全体としての”形”を認識するとアルファベットの集まりに見えて、『カモレレロ』に見えるものが『HELLO』という単語全体として見えてきます。
『木を見て森を見ず』ということわざがありますが、この場合は『木を見ず森を見る』でないと読めないというわけです。
全体をなんとなく捉える
このフォントのおかげで、日本人と外国人との違いを感じました。
※大雑把に括るのは間違っているかもしれませんが。
これまでも、そうだとは言われていたと思いますが、日本人に比べるとその他の外国人は、物事を大雑把に捉える傾向があります。
少し前、ファジーという言葉が流行しましたが、ファジーとは人間の持つ曖昧さのことです。
個人差があり、国民性や人種性にも傾向があるのでしょう。
日本人はファジーさが少し低いんですね。
『そんなファジーじゃ困るんだよ!』というように、ビジネスシーンでは曖昧さがネックになることもあります。
では、いつも厳格な方がいいかというと、そうでない場合もあるということでしょう。
全体を”なんとなく”捉える曖昧さも時には必要だということです。
点と全体を共に見る
一文字一文字を正確に読もうとするのは、その文字の意味や役割、前後の関係性などを大切にしているということでもあります。
一方全体をざっくりと捉えるというのは”形”として捉えているということです。
それは”ありのまま”に物事を見ているともいえるのです。
”丁寧に生きる”ということを『ともいき』では大切な生き方として実践していきたいと思っています。
”丁寧”という言葉の印象は、一文字一文字を丁寧に読んでいく方に近い感じがします。
しかし、ここで更に深い丁寧さを知ることが出来ました。
一文字一文字を読むような丁寧さでは全体は把握出来ないということです。
丁寧にひとつひとつをこなす丁寧さと、全体を大きな塊として捉える感覚。
この両方を持って”本当の丁寧さ”であるということなのです。
”ともいき”とは共に生きるということです。
点だけを見ると全体を見失います。
全体だけを見ると点が見えなくなります。
点と全体を共に見ること。
これが”ともいき”です。
日本人の丁寧さと外国人の曖昧さ、両方を丁寧に身に着けたいものです。
まじめな日本人が読めないフォント|全体をなんとなく捉えるのまとめ
今日は『まじめな日本人が読めないフォント|全体をなんとなく捉える』と題して、”なんとなく”の大切さを考えました。
まじめな日本人が読めないフォント
『木を見て森を見ず』ということわざがありますが、このフォントは『木を見ず森を見る』でないと読めない
全体をなんとなく捉える
全体を”なんとなく”捉える曖昧さも時には必要。
点と全体を共に見る
点だけを見ると全体を見失い、全体だけを見ると点が見えなくなる。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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