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人生で起こることは全て自分の責任|人生の監督は自分|くろちゃん

2020年9月6日

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よく『自分の身に起こることは全ては自己責任』ということを言います。

しかし、相手があることだし、自分の手に負えないこともあります。

そう考えることが大事だとはわかっていてもどこまで?

こんな疑問が湧いてきます。

今日は『人生で起こることは全て自分の責任|人生の監督は自分|くろちゃん』と題して、人生で起こることを全て自分の責任として引き受ける意味と考え方について書いていきます。



世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

くろちゃん プロフィール

人生で起こることは全て自分の責任|人生の監督は自分

誤解がないように、まず言いたいのは全て自分の責任だから、自分がなんとかしないといけないというのとは少し違うということです。

よく喩え話で使われますが、人生で起こることを映画だと思ってください。

映画の中には良い出来事もあるし悪い出来事もあります。
ヒーローもいれば悪役もいる。

小説でも映画でも最初に課題があって物語はその課題を解決するストーリーになっています。
最初から最後まで何も問題がなければ映画にも小説にもする価値がありません。

で、”私”はその映画の監督のような存在です。

その映画の中の主人公のような気持ちで人生を生きているかもしれませんが、そうではなくて、”本当の私”はスクリーンには出演していない監督のような存在です。

映画が面白くなるように、様々課題を設定し、敵を作り、仲間を作り、ハプニングもあるし、良い出来事もある。

そうやってハッピーエンドに向かって物語を創っていくのが”本当の私”です。

映画は最後にはハッピーエンドか、そうではないにしてもシナリオ通りに完璧にENDを迎えます。

つまり、様々な配役と様々なエピソードが絡まり合って、総和が100になって物語は完成します。

つまり作品はすべて完璧なわけです。

もし、それが完璧でないとしたらそれは監督の責任ですね。

全て自分の責任とは言ってみればそういう意味なのです。

人生で起こることは全て自分の責任|全てはハッピーエンド完璧です。



『人生はすべて自分の責任というけど、私はどうすればいいの?』という疑問を持っているとしたら、自分のことを監督ではなく主人公だと思って人生を見ているということになります。

これは主人公の目を通してしか人生を観れないので、仕方ないとえば仕方がありません。

理由はわかりませんが、そうなっています。

人間には見える世界と見えない世界があります。

もし、映画を観るようにすべてが見えていたら、敵がいたりハプニングがあることをシナリオ通り完璧だと楽しめるのですが、見えない部分があるのでどうしてもハラハラドキドキします。

映画の主人公と同じです。

映画の主人公が、とんでもないハプニングが起こっているのにシナリオ通り完璧だと悠然と構えていたら、つまらない映画になってしまいますね。(笑)


こんな物語はどうでしょうか。

職場でパワハラ上司がいて、同僚がそのパワハラに負けて会社を去ろうとしています。

これがこの物語の主人公の『人生』という映画の課題の部分です。

出演している”自分”を監督の『自分』はどう動かして物語を創っていくか?

パワハラ上司や同僚にどう関わっていくかで物語の行く末が決まります。

結局、同僚は会社を去ることになりました。

そこまでが主人公が見えているところ。

自分が何も出来なかったので同僚を救うことが出来なかったと主人公は後悔し、次から自分はどうすればいいのだろうと自分と今まで以上に向き合います。

しかし、この映画には続きがあって、その同僚は転職した先が素晴らしい会社で幸せな毎日を過ごすのです。

主人公が見えているところだけだとバッドエンドですが、映画としてはハッピーエンドです。

たとえ、その同僚が転職先でもバッドエンドだとしても、またその他の見えない世界が見えたらハッピーエンドになっている。

これが『人生』という映画なのです。

人生で起こることは全て自分の責任|人生は生命の総和

生命(いのち)は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和

しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

吉野弘著「生命は」

人生で起こることは全て自分の責任|人生の監督は自分|くろちゃんのまとめ

今日は『人生で起こることは全て自分の責任|人生の監督は自分|くろちゃん』と題して、人生で起こることを全て自分の責任として引き受ける意味と考え方について書きました。

人生の監督は自分
”私”は『人生』という映画の監督のような存在。

全てはハッピーエンド完璧です。
出演している”自分”を監督の『自分』はどう動かして物語を創っていくか?

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

 

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