願いを叶えるには真に切望すること|理解ではなく体験する|サドグル
インドで最も影響力がある50人のうちの1人として名が挙がるサドグル。
そのサドグルの動画の中で質問者が『自分を理解したい』といいました。
なぜ理解したいのか?とサドグルに尋ねられ自分の存在を体験したいと言いました。
理解したいのか?それとも体験したいのか?
質問者は『体験したいから理解したい』のだと言いました。
どっちですか?(笑)
しかし、質問者の質問を聞いて自分も同じような求め方をしているなと思ったわけです。
今日は『願いを叶えるには真に切望すること|理解ではなく体験する|サドグル』と題して、理解することと体験することを混同していることについて書いていきます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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ありがとうございます。
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くろちゃんです。
サドグル プロフィール
気候変動は、地球自身がウイルスに感染するようなものです。そしてそのウイルスは私たちです。#SadhguruQuotes #サドグル#1日1グル pic.twitter.com/0wf40ioSTk
— サドグル (@Sadhguru_JP) July 26, 2020
サドグル・ジャッギー・ヴァースデーブ (1957年9月3日)、別称サドグルは、インドのヨギ、神秘主義者、作家、そして詩人。世界中でヨガのプログラムを提供する非営利団体イシャ・ファウンデーション(Isha Foundation)の創設者でもあり、大規模な人道的向上プロジェクトや環境修復活動などの幅広い分野でも活動をしている。
インドで最も影響力がある50人のうちの1人として名が挙がるサドグルは、世界の名高いフォーラムでの指導的発言者であり、ダボス世界経済フォーラムやスウェーデン・トールバーグ・フォーラム、オーストラリア・リーダーシップ・リトリートといった国際会議や、オックスフォード大学(英)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(英)、国際経営開発研究所(スイス)、スタンフォード大学(米)、ハーバード大学(米)、エール大学(米)、ウォートン大学(米)、マサチューセッツ工科大学(米)といった有名大学や機関でも講演を重ね、高く支持されている。国連ミレニアム・ピース・サミットや世界平和会議でも使節を務めた経歴を持っており、2017年には霊性の分野での貢献を認められ、インドで最も誉れ高いとされる国民栄誉賞「パドマビブーシャン(Padma Vibhushan)」も受賞している。
引用:Wikipedia
サドグル:スピリチュアルになるために必要なのは理解?それか体験?
願いを叶えるには真に切望すること|理解ではなく体験する
質問者が言った『体験したいから理解したい』という考えに身に覚えがあります。
常にそうやって理解をしようと考えてしまっています。
理解すると体験できると思っているのか、もしくは体験には理解が必要だと思っているのか?
しかし、これには落とし穴があります。
理解は体験を超えません。
理解してしまうとそれ以上は得られない可能性があります。
理解した枠を超えられなくなってしまうのです。
体験が理解したもの以上であったとしても、理解したときのイメージが足かせになって理解を超えられないのです。
ブルース・リーの映画『燃えよドラゴン』の名セリフに『考えるな感じろ』があります。
『考えるな感じろ!月を指差すのと似たようなものだ。指に集中するんじゃない。その先の栄光が手に入らんぞ』
指が理解でその先に体験があります。
体験が栄光です。
求めているものを指だと理解してはいけないのです。
それ以上を体験することが出来なくなるからです。
願いを叶えるには真に切望すること|求める=体験
頭で考えている以外はすべて体験です。
食べ物を食べるのも、お風呂に入るのも…etc.
理解など必要なく体験すればそれがすべてです。
頭で考えていることは『求めている』という段階です。
求めれば体験する。
実にシンプルで、求める=体験です。
ただ、頭で考えていて、体験が起こっていないとすれば、それは求める度合いが小さくて体験が起こっていないのです。
切望していないということです。
願いがあっても叶わないのは切望していないということなのです。
どうすれば願いが叶うかという理解よりも切望なのです。
願いを叶えるには真に切望すること|体験した『以上!』
サドグル曰く『体験は自分の人生を一変させるために必要で、理解は他人の人生を一変させるのに必要』。
自分が人生を楽しむためには体験だけで十分なのです。
なのに体験したことを理解しようとするから難しくなってしまいます。
理解したい理由のひとつは再現性です。
なぜ今幸せだったのか?それをもう一度体験するために今起こった体験を理解したい。
無意識にそう思っていませんか?
もうひとつは他人にそれを伝えたい。自慢したいでも、他人を幸せにしたいでも理由は様々です。
幸せは体験です。
求めているということは、まだ体験していないということなので不幸せという感覚になります。
理解しようと思うことは不幸せな感覚を創る行為になってしまいます。
理解する必要はありません。
体験した『以上!』
体験だけを大切にして前に前に進んで行けば幸せの好循環が起こります。
願いを叶えるには真に切望すること|理解ではなく体験する|サドグルのまとめ
今日は『願いを叶えるには真に切望すること|理解ではなく体験する|サドグル』と題して、理解することと体験することを混同していることについて書きました。
理解ではなく体験する
理解すると体験できると思っているのか、もしくは体験には理解が必要だと思っているのか?
しかし、これには落とし穴があります。
理解は体験を超えません。
求める=体験
求めれば体験する。
実にシンプルで、求める=体験です。
ただ、頭で考えていて、体験が起こっていないとすれば、それは求める度合いが小さくて体験が起こっていないのです。
体験した『以上!』
体験だけを大切にして前に前に進んで行けば幸せの好循環が起こります。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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