ラマナ・マハルシの名言|私は誰か?|真我が目覚める時

2020年10月29日

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私とは何者?

物心がついた頃から『私』と思っているもの。

それは一体何なのか?

今日は『ラマナ・マハルシの名言|私は誰か?|真我が目覚める時』と題して、ラマナ・マハルシの「私は誰か?」について感じたことを書きます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

ラマナ・マハルシについて

『私は誰か?』Who Am I _ Japanese Edition.pdf

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Who Am I _ Japanese Edition

ラマナ・マハルシの名言|『私は誰か?』

南インドの聖者、
ラマナ・マハルシの教えである
「私は誰か?」を探求すること。

それは「私は誰か?」を発見することではありません。

「私は誰か?」の私は
私そのものではないことに気づくことです。

「私」という感覚は、
五感を使って感じるものです。

見ている私、聞いている私、触っている私、
味わっている私、嗅いでいる私。

それぞれの感覚とセットになることで
私を感じています。

それは体験であり、
体験を感じているのは自我です。

私とは?自我です。

体験とは自我です。

ラマナ・マハルシの名言|本当の私(真我)

「自我の私」と本当に私達が知りたいと思っている
「真我の私」は違います。

見ることをやめると私が消えます。

聞くことをやめると私が消えます。

etc.・・・。

そうやってすべての行為をやめて
すべての私が消えたときに残るもの
それが「本当の私」真我です。

目をつむって見ることをやめてみてください。

どこからどこまでが自分かが曖昧になってきます。

あると思っいる手は本当にありますか?

あると思っている足は?

当然あると思っているものを疑いだしたときに
自分と世界の境界が薄ぼんやりとしてきます。

それが完全に消えたとき真我が表れます。

ですから、
言葉でも表せないし、体験でも表せません。

ラマナ・マハルシの名言|『私は誰か?』に答えはない

言葉が起こったとき、何かを感じたとき、
それは自我だからです。

真我は体験を超えることができません。

それを知ることが「私は誰か?」のひとつの答えです。

私は誰か?に答えはないのです。

ラマナ・マハルシの名言|「私」と幸せの関係

では、どうすれば幸せになれますか?

自我がある間は本当の幸せはありません。

「幸せを感じている私」はあっても
それは本当の私でもなく幸せでもないからです。

それさえも自我だからです。

しかし、これに気づいたときに
心の中に温かい平和な空気が流れていませんか?

それを幸せだと感じられたら
人はいつでも幸せになれるのです。

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ラマナ・マハルシの名言|私は誰か?|真我が目覚める時のまとめ

今日は『ラマナ・マハルシの名言|私は誰か?|真我が目覚める時』と題して、ラマナ・マハルシの「私は誰か?」について感じたことを書きました。

『私は誰か?』
「私」という感覚は、五感を使って感じるものです。

本当の私(真我)
見ることをやめると私が消えます。聞くことをやめると私が消えます。etc.・・・。
そうやってすべての行為をやめて、すべての私が消えたときに残るもの。それが「本当の私」真我です。

『私は誰か?』に答えはない
言葉が起こったとき、何かを感じたとき、それは自我。

「私」と幸せの関係
自我に気づいたとき、心の中に温かい平和な空気が流れていませんか?

今日も読んでいただきありがとうございます。